かつてはフジ月9ドラマで主演を務め、歌手やモデルとしても大活躍した西内まりや。最近は一昨年の事務所騒動によりメディアで見かける機会がなくなり、その様子が伝えられるのは自身のインスタグラムのみといったところ。しかし、そんな彼女も、“芸能界では最も五輪に近かった”とも言われる。
「小学3年生のときにバドミントンを始め、モデルとして東京に上京する中学2年まで打ち込んでいたといいますからね。その実力のほどは、地元福岡市の大会で4度の優勝、2007年度の中体連では、個人・団体ともに福岡県大会へ出場するという筋金入りでした」(エンタメ誌編集者)
本人も当時、周囲に「夢はバドミントンで日本一になって、オリンピックに出場すること」と語るほど本気でバドミントンに打ち込んでいたというが、06年の中学1年生のときにモデルとしてスカウトされて以降、福岡と東京を行ったり来たりの生活となり、結局は翌07年にモデルに専念するために上京。バドミントンの道を諦めたという。
「それに西内が所属していたバドミントンクラブの監督が激怒。『日本一になるんじゃなかったのか?』『これまでどんな気持ちでやってきたと思ってるんだ!』と怒られたそうで、それだけ目をかけられていたということです。後に西内と監督は『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)で再会し和解しましたが、その際も監督は『日本一になれる素質はありました』と語っており、かなりの逸材だったと言えます」(テレビウオッチャー)
現在の活動を見る限り、西内に限っては“もし芸能界に入っていなければ…”とも思ってしまうのである。
(鈴木つかさ)