タモリが唯一“弟子入り”を許した男・岩井ジョニ男の成り上がり人生

「日本一インスタ映えするおじさん」として、お笑いマニアのハートをつかんだお笑い芸人がいる。イワイガワの岩井ジョニ男(年齢非公表)だ。「ジョニスタグラム」と命名したインスタグラムは、フォロワーが9万6千人超え。横分け黒髪に黒縁メガネ、背広にチョビひげというジョニ男が、昭和のサラリーマンとなって日常に溶け込む写真は悲哀感たっぷり。その“せつな悲しさ”を19年4月、フォトエッセイ「幻の哀愁おじさん」として上梓すると予想を上回る好セールスとなった。

 ダサかわいいおじさん、ジョニ男。頭の先から爪の先まで三枚目だが、20代のころは東京屈指の繁華街・歌舞伎町でホストをしていたというから驚きだ。

「芸人になるために上京したはいいが、その手段がわからないどころか、仕事もない。新宿を歩くお水系の女性に声をかけて、男が働ける店を紹介してもらうという信じられない行動に出ました。案内された店に行くと、店長から『君だったら3カ月でベンツだよ』とその容姿が認められて、即入店。のちに業界No.1となる『N』でした」(週刊誌記者)

 10カ月ほど経ったころ、トップホストから「一緒に店をやらないか?」と誘われて一緒に独立。売れっ子ホストとしてノリに乗ったのは二十歳のとき。店で専務の役職を与えられた。それでも芸人になりたい夢は抱き続けており、接客業を通じて芸能関係者と出会い、「タモリの付き人になりたい」と思うようになったという。奇跡的に「タモリだったらうちの近所に住んでるよ」と言う客から自宅の住所を教えてもらい、翌日から通い詰めることとなったという。

「連日にわたって、『弟子にしてください』と言うジョニ男と『弟子は取ってない』と返すタモリさんの押し問答。『二度と来るな!』とキツめに言われてもあきらめずに通っていると、49日後に『とりあえず見習いでやってみるか』とタモリさんが根負け。唯一の“弟子入り”を許可されるまで四十九日(しじゅうくにち)かかったというのが、ジョニ男のテッパンのネタです」(前出・週刊誌記者)

 イワイガワは、明石家さんまと40年来の友人である小堺一機や関根勤が所属する浅井企画のコンビ芸人。ド新人時代からさんまと宴席を共にする機会に恵まれてきたため、お笑いモンスターのクセや趣味嗜好を熟知していた。

「さんまのお笑い向上委員会」(フジテレビ系)が特番からレギュラー化になったときには、アポなしで収録現場を突撃。さんまが好きな駄菓子のイカを手土産にして、インスタントカメラを向けながら、「パパラッチです。新番組おめでとうございます」とミニコントを展開した。

 カメラが回っていないところで、ネタを仕込んできたジョニ男の芸人魂にホレたさんまは、本番のテレビカメラの横でスタジオ見学する芸人を『モニター横』と命名。ジョニ男は、その第1号となった。のちに時間をかけて準レギュラーの座を勝ち取る成り上がりぶりを見せた。

 三枚目路線の売れっ子ホストから、さんまの飛び道具にまで上りつめたジョニ男の芸人人生。執念とアイデアでタモリ、さんままで振り向かせたのは、芸能界広しといえど、ジョニ男だけかもしれない。

(北村ともこ)

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