平成スターを総直撃(1)永井真理子が語るハマスタの奇跡「大雨の中で『ZUTTO』を歌ったら…」

 平成元年(89年)リリースの「ミラクル・ガール」を皮切りに、「ZUTTO」(90年)など多くのヒット曲を生んだ女性歌手・永井真理子(56)は今もファンに歌声を届けている。

「私自身、デビューが20歳で、その頃に私の歌を聴いてくれていた小中学生やラジオリスナーの受験生が、40代50代になってライブやイベントに足を運んでくれるのは感慨深いですよね。かつてカップルでライブを楽しんでくれた方が夫婦になって、お子さんを連れて来てくれたりして、ライブ会場の年齢層がグッと広がりましたね」

 昨年、デビュー35周年を迎えたが、彼女の名を有名にしたのがアニメ「YAWARA!」(89〜92年)の主題歌に起用された「ミラクル・ガール」だ。

「タイトルもサビの歌詞もキャッチーで覚えやすいですよね。それまではロック調の曲が多かったし、アルバムに収録する候補のひとつとして『アルバムの中に入れたらかわいいなぁ』くらいの印象で‥‥。まさか、こんなに長く愛されるとは思いもしませんでした。ようやく顔が売れ始めた頃、街で『ミラクル・ガールだ』『ヤワラちゃんだ』って声をかけられたり(笑)。やっぱりアニメの影響って大きいですよね」

 91年には「ZUTTO」でNHK紅白歌合戦に出場し、翌92年から2年連続で横浜スタジアムのライブを成功させた。

「1回目の92年のライブはスタートから大雨でした。皆さん、私が〝雨女〟って知っているから、『ほら見ろ、降ったぞ〜』なんて言いながら盛り上げていただいて。でも中盤くらいで『ZUTTO』を歌っていたら、ウソみたいに雨雲が消えて、空がパーッと晴れた光景は今でも忘れることができません」

 学生時代によく見ていたという「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演する機会にも恵まれた。

「同じ事務所のドリカムさんから〝お友達〟として声をかけていただきました。生放送なのに、事前の通知などはなく、『電話が来るかも』くらいにしか思っていませんでした。しかもツアー中だったので、電話をいただいたのが新幹線の車内。当時は移動電話だったかな? 事務所の社長に電話をお借りしたんですけど、全然声が聞こえなくて、『もしも〜し!』って声を張り上げて、何とか『いいとも!』って言いきれました。スタジオアルタでは、タモリさんがいきなり『和菓子のようなお顔ですね』なんておっしゃるから頭の中は真っ白。『小さい中にちゃんと目、鼻、口が上手に並んでる』と後で説明してくださいました(笑)」

 その後、結婚・出産を経て03年にオーストラリア・シドニーに移住。帰国後、音楽仲間やファンの後押しで、デビュー30周年となる17年に復帰を果たすことに。

「10年以上、自分の声という楽器を鳴らしていなかったので、半年かけてボイストレーニングしました。それでも皆さんの前に立つのは不安で仕方なかった。小さな会場でアコースティックライブから始めたんですけど、ファンの方からも緊張が伝わってきて‥‥。再会できた感動、20代から一緒にワープしてきたような不思議な感覚がごちゃまぜになって、涙が止まらなかったですね」

 今年5月には長野県安曇野市で1泊2日のファンツアーを主催。7月に20年ぶりにファンクラブを再開させた永井は、ファンとの密な交流を心から楽しんでいるようだ。

「長野のイベントではファンの方とバーベキューやラジオ体操をしたり、星空の下、皆さんのスマホの明かりで撮影会をさせていただいたのは忘れられない思い出。こうしたイベントを行うにしてもSNSだけでは限界があると思って、応募者の数を把握したり、きちんと連絡を取り合うためにもファンクラブという〝特別な場所〟の必要性を感じたんです。すべてデジタルではなく、紙の会報やバースデーカードなど、あえて〝昭和感〟も出していますよ(笑)」

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