日本シリーズで再燃!原VS工藤14年越しの遺恨と内川聖一“冷遇退団”の真相

 リーグVを目前にして足踏みが続いた巨人に対し、2位に10.5ゲーム差をつける独走状態で優勝したソフトバンク。昨年の「4タテ劇」もあって、戦う前から圧倒的な勢いの差で評価が分かれているが、そんな中、両指揮官の14年越しの遺恨が早くも再燃しているというのだ。

 ポストシーズンに向けて、リーグ優勝を決めたチームの指揮官同士がバチバチの様相を見せている。特に昨年の日本シリーズで屈辱の4タテを食らった巨人の原辰徳監督(62)は、リベンジを果たすための準備に余念がない。スポーツ紙デスクが解説する。

「若手を積極的にテストしています。1軍半の田中俊太(27)や若林晃弘(27)が本職ではないファーストやレフトでスタメン出場していますが、日本シリーズを見越しての起用だといいます。昨年のシリーズではレギュラーに代わるバックアップ要員に困窮していて、原監督も采配の振るいようがなかった。本職の外野手や内外野を守れるウィーラー(33)の調子が上向かない時の保険として備えているようです」

 消化試合さながらの用兵で、日本シリーズ戦の試行錯誤を続ける原監督に対して、因縁渦巻く思いを抱えるのは、ソフトバンクの工藤公康監督(57)だ。なんでも、「あの頃」の遺恨がいまだくすぶり続けているという。巨人OBが当時を振り返りながら語る。

「06年オフ、当時の工藤さんは横浜からFAで獲得した門倉の人的補償で、原巨人から放出されました。山口鉄也ら当時の有望な若手を連れた、アリゾナでの自主トレ中に知っただけに、寝耳に水だったそうです。チームのベテランとして若手の面倒を任されている自負もあっただけに、自分を爪弾きにした原さんに裏切られた思いが強い」

 のちに工藤監督は「自分がフロントだったら、43歳の選手をプロテクト枠に入れない」と、球団の方針に理解を示すコメントを発表。そんな潔い言葉とは裏腹に、本音では優勝請負人の大投手のプライドを傷つける納得できない仕打ちだったのだ。一方の原監督も、その関係には頭を悩ませていたようで、

「02年に新人監督だった原さんは工藤さんの扱いに心底困っていた。工藤さんが200勝を達成できたのは、体に不調が起きるたびに休んでいたからです。つまり、チームの投手陣がピンチだろうが身を粉にして働くような考えがなかった。当然、シーズン終盤の中4~5日での登板や、中継ぎに配置転換するなどの打診に、工藤さんがいい顔をするはずがありません。原さんも今ほど権力を持っていたわけではないので、あまり強くは言えませんでした。表立って衝突することはなかったですが、2人の関係性はハタから見てもギクシャクしていましたよ」(巨人OB)

 互いに相いれない感情を抱えながらも笑顔で握手を交わし、雌雄を決し合おうというのだ。

 そんな遺恨を持つ工藤監督だが、逆に自軍の選手やコーチからは不満の声が聞こえてくる。パ・リーグ関係者がチーム内に漂う不穏な空気を吐露する。

「工藤監督が論理的に口撃してくる『ロジカルハラスメント』に、選手やコーチたちは気を揉んでいるといいます。1聞くだけでネチネチと10も20も返す人ですが、その一つ一つが正論ばかりで、ぐうの音も出ない。会話には程遠く、説教しているようにしか見えません」

 ストレス性の精神疾患で毎年のように選手やコーチの離脱が相次ぐ中でも、「嫌われ者」のスタンスを貫いていく。そこには若手時代に体得した西武黄金期が大きく影響しているという。

「工藤監督からすれば、選手たちに嫌われるのは本望です。当時は選手間に派閥があるうえ、それぞれが首脳陣に反発する空気がありました。キャンプの食事では玄米や野菜を強要するなど、当時の広岡監督が目を光らせる中、東尾が『やかんにビールを入れて飲めばいい』と提案。そのやかんを持ってくるように命令されていた、若かりし頃の工藤は東尾や森繁のテーブルを行ったり来たりしていました」(西武球団関係者)

 自身が「広岡イズム」に反発したように、監督の管理が厳しければ厳しいほど跳ね返りは大きいもの。そんなストレスのハケ口は野球に向かうしかないと、この西武球団関係者は続ける。

「『勝てば全て相殺』ですよ。不平不満が監督にばかり向くことで、選手たちの団結にもつながる。そもそもレギュラーで起用されている選手は不満を漏らすこともないでしょう。使われて莫大な年俸を稼げれば、ウラミツラミは消えます」

 しかし、2位に10.5ゲーム差をつけて優勝したその日には、内川聖一(38)が退団の意向を表明。今季はファームで結果を出しても1軍出場は皆無で、忸怩たる思いを抱えていたという。

「首脳陣に対してもモノ申す内川の性格を、工藤監督は煙たがっていました。2軍でも『何なんだ、あの人は!』と監督の愚痴をこぼしていたそうですが、チームメイトの心境はいささか複雑だった。確かにシーズンを通して打率3割以上をマークする実力はさびついていませんが、内川がベンチにいるだけで工藤監督と一触即発のムードが漂っていましたからね」(スポーツ紙デスク)

 そして、10月1日に右膝痛で離脱したデスパイネ(34)の代わりに、内川よりも2軍成績の劣るバレンティン(36)が昇格したことが、退団の意思を固める決定打となったようだ。

「工藤監督は『デスパイネの代わりの長打力に期待して』と昇格理由を話していましたが、内川を使わない理由を無理やりひねり出した印象でした」(パ・リーグ関係者)

 内川は“冷遇退団”となったが、チームは一致団結でリーグ優勝。工藤監督の“怨恨”は、やはり非情采配には定評のある原監督をも飲み込んでしまうのか。

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