元七冠・羽生善治“レジェンド復活”を支えたAI研究と体幹トレーニング

 新旧“天才少年”の激突が実現した「第70期王将戦挑戦者決定リーグ戦」の開幕戦。これまで対戦して4戦4敗だった「元七冠」のレジェンド・羽生善治九段(50)が、大方の予想を覆して藤井聡太二冠(18)に勝利して復活を印象づけた。

 将棋界の世代交代に「待った」をかけた羽生だが、18年に竜王を失冠してからタイトル戦とはまったく無縁の状態が続いた。将棋界随一の人気棋士であり、将棋連盟の顔役としてハードなスケジュールをこなしてきたものの、昨今は精彩を欠いていることも否めなかった。実際、最近の「藤井フィーバー」では新世代のスターの躍進に塩を送る形となっていたが、これまでのカクカクたる実績を考えれば、まだまだ主役を譲るには早すぎると考えるファンは少なくないだろう。

 95年度に史上初のタイトル七冠を制覇するなど、90年代から00年代にかけて、将棋界の主役は羽生が牽引してきた。少年時代から長きにわたってライバル関係だった森内俊之九段が振り返る。

「羽生さんは小学生時代からのつきあいで、当時から実力は格上でした。96年度の名人戦は私にとって初めてのタイトル戦で、気持ち的にも技術的にもいい状態にあったと思うんですが、実際に対局してみると、さらに上のレベルの指し方をされていて、一番ならともかく、七番勝負で勝つことは難しく感じるほど圧倒された記憶があります」

 七冠保持者として3回目の防衛戦で三浦弘行九段(46)に棋聖を奪われ、独占体制は瓦解してしまうが、将棋界のリーディングプレイヤーとしての地位が揺らぐことはなかった。

「羽生さんは自分が習得した技術を隠さない人なんです。当時はAIの実力が今ほど強くなかったので、後輩や同年代の棋士たちは羽生さんをお手本にして勉強していました。棋士たちのレベルアップに貢献した反面、ライバルの台頭を早めてしまうことになりました」(森内九段)

 その後、羽生や森内九段をはじめとする「羽生世代」や「光速の寄せ」の異名を持つ谷川浩司九段(58)らとタイトル争奪戦を演じていく。森内九段も03年度には竜王と王将、04年度には名人を羽生から奪取して一時代を築いた。

「全体的には負け越していますので、勝てる時に勝ったという感じでしょうか。羽生さんといえども人間です。バイオリズム的に調子が芳しくないと思う時期はありますから‥‥」(森内九段)

 実力伯仲のトップ棋士同士の対局は、さながら勝敗が目まぐるしく入れ代わる。7月13日の対局で羽生に勝利した屋敷伸之九段も、

「勝利したのはたまたまです(笑)。勝敗は対局時の調子や運に左右される部分もありますから」

 と、あくまで「勝負は時の運」とばかりに謙遜するが、羽生の勝負への飽くなきこだわりは、ついに17年度、前人未到の「永世七冠」として結実することとなった。

 ところが、翌18年には竜王戦で広瀬章人八段(33)に敗れて27年ぶりの無冠に。しばらくタイトル戦から遠ざかる憂き目を見たが、今回の藤井からの勝利で、タイトル戦線へ堂々たる復帰を果たしたのだ。

 先立つ9月19日には「第33期竜王戦挑戦者決定戦」三番勝負の三局目で丸山忠久九段(50)を下し、2年ぶりのタイトル挑戦権を獲得、快進撃の波に乗り始めた最中だった。

「気持ちが非常にノッているように感じました。予選のランキング戦で優勝して勢いもありました。通算100期をかけたチャンスに気合いが入っているのではないでしょうか」(森内九段)

 往年の将棋ファンは羽生の完全復活を心待ちにしていたことだろう。

 かつては、対局を重視し唯我独尊の独学で研鑽を重ねてきた羽生だったが、通算100期目のタイトルも視野に入った好調ぶりの背景には、独自のAI研究が実を結んだと評されている。観戦記者が明かす。

「AI研究に熱心な豊島将之二冠(30)や藤井二冠の棋譜を見て研究しているそうです。どの棋士も大なり小なりAIソフトを活用して局面ごとの評価値を割り出し、効率よく将棋の勉強に取り組んでいます。その第一線をいく二人の棋譜ともなれば、濃縮還元して吸収されたも同然ですからね」

 いわば最先端の棋譜を研究しつつ、自分のものにしてきたことが大きいというのだ。これもまた、いいものは何でも取り込むという合理性を重んじる羽生ならではのAI研究法だ。

 そんな羽生でも、寄る年波には逆らえない一面が見え隠れしている。

「昨年、歩行困難になるまでに悪化した、かかとの負傷がクローズアップされました。長時間の正座からくる職業病で膝や腰を痛める棋士は多いのですが、羽生さんの場合は重症で、公の場でも足を引きずるシーンが見受けられるほどでした」(観戦記者)

「盤上の格闘技」と呼ばれる将棋は知力だけでなく体力も重要で、

「体調が万全に越したことはありません。不調があると力を十分に発揮できない場合があるので、年齢を重ねた棋士は体のメンテナンスが必要になります」(森内九段)

 文字どおり足枷をハメられた羽生もご多分に漏れず、体のメンテナンスに留意し精を出しており、

「昨年から元サッカー選手のトレーナーのもとに通って肩甲骨や体幹トレーニングの指導を受けています。歩くことはもちろん、正座も苦にならない程度まで回復したそうです」(観戦記者)

 将棋界における立ち位置の変化も、羽生のコンディションにいい影響を及ぼしていた。将棋ライターがその近況を明かす。

「『羽生フィーバー』から二十数年間まとまった休みがありませんでした。対局数の多さもさることながら、イベントの講演や取材、本やゲームの監修まで、将棋界の広告塔として1人でこなしてきた。最近は若い棋士のメディア露出が増えて、羽生九段に集中していた仕事が分散されました。コロナ禍のステイホームも相まって、家族と過ごす時間や独りでリラックスする時間も増えたようです」

 対照的に初戴冠の式典や取材などのハードスケジュールをこなす藤井は“親離れ”が進んできた様子で、

「これまでは師匠の杉本昌隆八段(51)がメディア対応をフォローしてきた部分が大きかったけど、タイトル獲得後のイベントや取材は通過儀礼として独り立ちさせようと、見守ることに徹しています。藤井フィーバーの熱を冷ましたくない将棋連盟やスポンサー企業が、藤井を前面に出してブームを引っ張りたい思惑がある。愛知県在住の高校生には酷なスケジュールを嫌な顔せずにこなす姿に、大人たちは頭が上がりませんよ」(将棋ライター)

 新世代の天才といえども与えられる時間は平等。次回の対局相手を研究する時間を捻出するのも、ひと苦労だろう。

「新聞やネットメディアのインタビューで、趣味とAI研究を兼ねて『ハイスペックPC』を自作していると明かしています。頭脳部分にあたるCPUには50万円の費用をかけて、AI搭載の将棋ソフトの計算に特化された仕様にした。高性能パーツの発売が待ち遠しいようです」(将棋ライター)

 さて、羽生との開幕戦で黒星を喫し、三つ目の戴冠に黄色信号が灯った「王将挑戦者決定リーグ」だが、気落ちするのはまだ早い。

「タイトルホルダーもしくは経験者ばかりのハイレベルな戦いが続きます。星の潰し合いになる展開が予想されるので、2敗くらいまでは挑戦ラインでしょう」(屋敷九段)

 次回、10月7日の対局では過去に5戦全敗の豊島二冠が立ちはだかる。羽生との敗戦を糧に、捲土重来となるか。「天才少年」の真価が問われる一戦となりそうだ。

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