天才テリー伊藤対談「都倉俊一」(2)ピンク・レディーは期待薄でしたか

テリー 都倉さんが「スタ誕」の審査員として出演されたのは、どんな経緯からだったんですか。

都倉 審査員だった阿久悠さんが、何かの理由で収録に出られなくなっちゃったことがあって、その時「都倉ちゃん、代わりに出てくれ」と頼まれたんですよ。だから、最初は1回だけのつもりで、若くて生意気なヤツが好き勝手なことを言っていたわけですが、そこをプロデューサーに気に入られてしまって。そのままレギュラー審査員になったです。

テリー 僕も毎週見ていましたけど、社会現象になった番組でしたよね。

都倉 日曜朝11時からの放送で、最初は視聴率2~3%くらいだったんですが、そのあと最高28%も取りましたからね。

テリー 本当に、続々とスターが出てきましたから。

都倉 ええ、まず森昌子ちゃん、次が桜田淳子ちゃんですね。昌子ちゃんは演歌だから遠藤実さん、淳子ちゃんは中村泰士さんが曲を書いて、僕は3番目の山口百恵ちゃんに関わった。

テリー これまた、すごい逸材じゃないですか。それは、都倉さんが手を挙げたんですか。

都倉 いえいえ、「じゃあ今回は都倉さんがやってください」みたいな感じでした。理由はよくわかりませんけれど。

テリー 6人審査員がいましたけど、やっぱり評価は割れるものなんですか。

都倉 かなり違いますね。声楽家の松田トシさんは、挑戦者のスター性なんてのはあんまり考えないで、見るところは「正しい歌唱法に向かっているかどうか」だけ。亡くなった三木たかしさんも頑固な人で、「いい」「悪い」とハッキリ言ったりするものですから、楽屋での打ち合わせ中に「まあまあ、いいじゃない」みたいになだめるようなことがよくありました。

テリー そして、いよいよこの番組で、あのピンク・レディーとの出会いがあるわけですよね。

都倉 ピンク・レディーも、最初はまったく注目されなかったわけですよ。決戦大会で、大注目株の清水由貴子ちゃんはレコード会社40社のうち38社からプラカードが挙がったのに、ピンク・レディーなんてたったの2社でしたから。

テリー あれれ、そんなものでしたっけ。

都倉 審査員の中でも、予選の頃から「あの子たち、何かあるんじゃないの」と言ってたのは僕1人だったから。それもあって、「お前、責任取れよ」という感じで、彼女たちの曲は最初から僕が書くことになったんです(笑)。

テリー ハハハハ! でも、デビュー曲の「ペッパー警部」からグングン人気が出て、これまた大変なブームとなりましたから。都倉さんの曲はもちろんですが、阿久さんの詞や土居甫(はじめ)さんの振り付けもインパクト抜群でした。「次はどんな曲を歌うんだ」というファンの期待値も高かったでしょうから、さぞ仕事のプレッシャーも大きかったんじゃないですか。

都倉 うん、最後の頃はもう一刻も早くやめたかったね(苦笑)。「UFO」が280万枚ぐらい売れて、ちょうど2年目ぐらいがピークだったのかな、「透明人間」~「ジパング」のあたりから売り上げ枚数は下降していくので。

テリー 「透明人間」は予約だけで60万枚を超えたんですってね。今だったら、それでも十分すぎます。

都倉 我々としては、まだまだおもしろい企画を抱えていましたが、当時の雰囲気だと、もう先が見えている感じがありました。だから阿久さんと「いい時にピンク・レディーの“葬式”を出したいね」なんて、よく言っていたんですよ。

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