野田聖子「あの時、メディアが小泉さんにコントロールされて…」/テリー伊藤対談(2)

テリー そういう野田さんの姿勢が、よく表れてるのが小泉さんと戦った時だと思うんですけど。結局、あの郵政民営化って何だったんですか。

野田 私がいちばん引っかかったのは、民営化することが理屈の上でプラスにならないのは明らかなのに、「郵便局員の給料は税金だから、それが福祉や教育にまわる」とか噓をついたことですよね。

テリー 民営化すれば郵便局員の人件費が浮いて、その分が福祉や教育費にまわると。

野田 でも、そんなの噓なんですよ。郵政事業は黒字でしたから、その利益で人件費は賄われていたし、民営化した今も福祉や教育にお金がまわったなんて一度も聞いたことありません。

テリー でも別に小泉さんは噓をついてるつもりじゃなかったんでしょう?

野田 小泉さんはそんなこと言わないですよ。周りが言うんです。あとは「とにかく小泉を男にしてくれ」みたいなムードがあって。

テリー ちょっと異様な雰囲気でしたよね、あの頃。

野田 「別に小泉さんを男にするために政治があるわけじゃないのにな」って普通に思うじゃないですか。

テリー そりゃ、そうだ。

野田 よく女性は感情的だって言いますけど、男性の方がエモーショナルかなって「永田町」に入って思いますね。そういう「男気」とか「政治生命を賭けて」とか、政治に必要ない、情緒的な言葉が多いですよね。

テリー 野田さんは言わない?

野田 私は現実主義者ですから。「必要な仕事が成し遂げられればいい」っていうスタンスです。

テリー ニュートラルですよね。

野田 だから、私のことを「右」っていう人もいれば、「左」とか「リベラル」とか「コンサバ」だって言う人もいるし。でも、みんな勝手に言ってるだけで。私が自分で宣言したことはないし、強いて言うなら現実主義です。

テリー でもあの頃、小泉さんの国民的な人気に押される形で、「別に郵政はどうでもいい」って思ってたのに小泉さんについちゃった議員もいっぱいいましたよね。

野田 そうですね。第二次世界大戦の時に、当時のメディアが一斉に戦争を礼賛して、戦争への道をひた走ってしまった時とまったく同じ構図ですよね。左右問わず、メディアが小泉さんにコントロールされて。

テリー コントロールされたんですか。

野田 あれは、やっぱりちゃんとトリックがあって。賢いんですよ、小泉さんのブレーンは。郵政民営化を礼賛するような記事を書かないとスクープが取れないみたいな仕掛けができていて。記者もスクープを取らずに社に帰ると怒られるから、みんながその体制になっちゃったんです。

テリー なるほど。

野田 しばらくして、当時の新聞社の政治部長だった人の会に呼ばれて、謝罪されたことがあります。「小泉に完全に屈してすみません」って。

テリー うーん、そうか。その後、小泉さんとは?

野田 別に個人的にケンカしたわけじゃないので、すごい仲良しです。小泉さんも郵政民営化はライフワークだったわけじゃなくて、ただの手段なので。目的は田中派を潰すことですから。その手段として、郵便局と高速道路が使われただけですよね。だから本人、聞いても覚えてもないと思いますけどね。

テリー そうですよね。あと、小泉さんって数字に無頓着ですよね。

野田 小泉さんは大方針だけだから。たぶん「郵政民営化法」っていう法律があるんですけど、知らないと思います。それはそれで政治家としてありかなと思いますけど。官僚みたいに、そういう事細かなことをつつく国会議員が増えてますけど、その人たちが優秀とは限らないので。

ゲスト:野田聖子(のだ・せいこ)1960年、福岡県生まれ。1987年、当時最年少の26歳で岐阜県議会議員に初当選。1993年、衆議院議員初当選。1996年に郵政政務次官、1998年に郵政大臣を務める。2005年、いわゆる郵政選挙の影響で、自民党を離党。2006年、復党。以降、消費者行政推進担当大臣、自由民主党総務会長、総務大臣、自由民主党幹事長代行、こども政策担当大臣などを歴任する。現在は自由民主党情報通信戦略調査会長。最新著書「野田聖子のつくりかた」(CCCメディアハウス)発売中。

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