原巨人の秘密兵器?“沖縄行き”をもぎ取ったイケメン投手の意地の根源とは?

 原巨人が一軍主体となる沖縄での二次キャンプメンバーを発表したのは、2月13日。紅白戦で結果を残したイスラエル・モタ、湯浅大など二軍、育成の選手も選ばれた。その一軍サバイバルレースに生き残った37人のうち、投手は19人。3人の育成投手が含まれていたが、中でも報道陣の注目を集めたのが、背番号「016」の2年目、沼田翔平投手だ。
 
 沼田は旭川大高時代、甲子園史上初となったタイブレーク試合を経験した右腕だ。

「18年夏の甲子園で好投し、高校野球フリークの間では『平成の甲子園大会を象徴するピッチャーの一人』と位置づけられています。18年は100回目のメモリアル大会で、春夏合わせて甲子園大会初のタイブレークとなった試合に出ていたからです」(スポーツ紙記者)
 
 大会2日目(同年8月6日)、エースだった沼田は佐久長聖との一回戦の先発マウンドに上った。しかし逆転を許してしまい、両校は延長13回からのタイブレーク制に突入。この時点で沼田はマウンドをおりていたが、「タイブレーク突入の原因を作ってしまったピッチャー」「味方野手の失策も重なった」などで、高校野球ファンの記憶に深く刻み込まれた。

「結局、旭川大高は敗れてしまいましたが、沼田にとっては、このときの悔しさも今日の頑張りにつながっていると思います」(前出・スポーツ紙記者)
 
 18年当時の高校野球専門誌では「俳優・福士蒼汰似のイケメン右腕」とも紹介されていた沼田。16日、DeNAとのオープン戦では中継ぎで登板し三者凡退と原監督の期待に見事に応えただけに、開幕一軍で黄色い歓声を受ける可能性も見えてきた。

(スポーツライター・飯山満)

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