「麒麟がくる」で注目! 明智光秀7つの誤解(3)ダブルワークに勤しむ商才

 ここでもう一度、光秀の人物像に戻ってみよう。大河ドラマに登場する戦国武将たちは、とかく正室を愛する愛妻家として描かれがちである。生涯側室を設けなかった愛妻家の一面が定説となっている光秀も、通説どおりならば、木村文乃演じる正室・煕(ひろ)子ことの愛を貫くのだろうが‥‥。

【5】光秀にも側室がいた

という可能性を、明智氏は語る。

「彼は近江・坂本城、丹波・亀山城という2つの城を拠点にして活動しました。当然、正室が坂本城にいれば、側室が亀山城にいてもおかしくありません。側室は後継ぎを産むだけでなく、城の雑務を取りしきる役割を担っていました。側室=妾と捉える人が多いですが、これは大きな間違い。側室は正妻と同様、正式に結婚している相手であり、不貞相手ではありません」(明智氏)

 事実、近江の戦国大名・浅井長政は、お市という仲むつまじい正妻がいながら、ちゃっかり側室を構えている。愛妻家=側室を持たないという発想はまさに偏見というものだろう。

 さらに意外な一面といえば、

【6】光秀は優れたビジネスマンだった

特筆すべきは、連歌や茶道など文化的な素養に恵まれていた点だ。

「当時、室町幕府や武器商人とうまくやっていくために連歌や茶道に精通することは、生き残るためのビジネススキルとして必須条件。それらの達人だった光秀は、上司に重宝されました。当時は茶室で武器商人と密談をする機会もありましたからね」(明智氏)

 さらに驚くべきことに、今の時代でいう「ダブルワーク」にもいそしんでいたという。

「一時期、信長と足利義昭の2人に仕えて、両方からサラリーをもらっていました。このように主君が複数いる状態を『両属』と言います。意外かもしれませんが、戦国時代には、複数の主君に仕える武士は珍しくない雇用形態なのです」(小和田氏)

 光秀は幕府に仕えていた時代に、朝廷や公家などの京都人脈を築いて信長の上洛にも一役買う。手柄を重ねる光秀は信長の信頼を勝ち取ってトントン拍子に出世するが、織田勢の中途入社組である光秀の周りには男のジェラシーが渦巻いていた。そのため、小和田氏はこのような説も挙げてくれた。

【7】気を許せる友人は少なかった

「足利義昭に仕えていた頃に上司として行動を共にしていた細川藤孝とは、その息子と自分の娘を縁組させるほどの仲でしたが、しだいに立場が逆転。妬む気持ちも作用したのか、藤孝は本能寺の変のあと、光秀の協力要請を断っています」

 まだ謎は多いものの、これらの真実を踏まえて「麒麟がくる」に臨めば、「逆賊」のひと言だけでは語れない明智光秀という人物のさらなる深みを知ることになるだろう。

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