「麒麟がくる」で注目! 明智光秀7つの誤解(2)一族を救うために反乱の道へ

 明智光秀を語る際に、どうしても避けられないのが「本能寺の変」。光秀が謀反を企てた理由には諸説あり「信長に対する恨みつらみ」を理由とするものが一般的だが─。

【3】「本能寺の変」は恨みが引き起こしたものではない

「麒麟がくる」で時代考証を担当する、静岡大学名誉教授・小和田哲男氏は「信長の非道阻止説」を提唱している。

「光秀に関する資料としては、ケガをした部下をいたわる内容の手紙が何通も見つかっています。このような例は他の武将にはなく、部下思いの優しい光秀の人物像が浮かび上がります。そのため、人を人とも思わない信長の生き方に抵抗を感じたのかもしれません」

 明智氏は、長いものに巻かれる風潮が強い戦国時代に、感情的な理由で謀反を企てる可能性はないと指摘したうえで、

「海外出兵による、明智一族の滅亡を恐れたのでしょう」

 という説を唱えた。

「天下統一を目前に控えた信長は、次なる領地拡大のためにポルトガルの宣教師ルイス・フロイスに知恵を仰ぎます。そこで入れ知恵されたのが、海外出兵だったのです。信長の側近だった光秀の耳にその話が入らないわけがありません。光秀はすでに高齢だった自分の身ではなく、13~14歳の我が子が海外出兵の先陣に立つ姿を案じたのです。戦に向かう途中に船が難破でもしたら、明智一族が海の藻屑になりかねませんからね」(明智氏)

 当時キリスト教を布教するため日本を訪れていたイエズス会には、いくつかの海外出兵にまつわる記録が残っているという。

「信長は海外出兵のための軍艦と航海士を獲得するためにイエズス会を快く迎え入れた。志半ばで終わった信長のアイデアを引き継いだ秀吉が朝鮮出兵した際にも、光秀と同様の謀反を企んだ武将が出るに違いないという噂が立った記録が残っています」(明智氏)

 実際、秀吉の朝鮮出兵に反対した島津家家臣・梅北国兼が「梅北一揆」を起こしている。これは結局失敗に終わるが、国兼も光秀同様、一族の滅亡に危機感を抱いていたようなので、明智氏の説にはリアリティーが十分にある。

 続く山崎の戦いに敗戦した光秀の終着地にも、諸説ある。歴史好きの間で語られているのが、

【4】「南光坊天海」異説はウソ

 戦を生き長らえた光秀が、徳川家康のブレーンとして活躍した僧侶・天海に姿を変えたという、ドラマチックな伝説だが、小和田氏の意見は厳しい。

「天海説はあくまで英雄不死伝説ですね。合戦のあと本能寺に光秀の首がさらされていますし、生首を見て光秀本人と確認している人がたくさんいるんです。影武者なら、すぐにバレますよ」

 光秀の生涯の結末に、どの説が採用されるか。そこも大河ドラマの大きな見どころとなりそうだ。

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