欧州がいま中国車の破竹の勢いに悲鳴を上げている——。
世界のモータリゼーションをリードし、しかも中国のメーカーを育てた欧州の自動車産業が、中国車に足元を脅かされようとは、だれが想像しただろうか。
中国製電気自動車(EV)が中国政府の補助金を受け、安価で販売されているため、今や欧州製のEVを駆逐する勢いで市場を席捲中なのだ。
欧州の自動車産業界は、このままいけば世界中が中国製EVに飲み込まれると警鐘を鳴らす。欧州委員会のフォンデアライエン委員長は9月13日、中国製自動車が不当に(政府の補助金を受け)安い価格で販売されているなら、相殺関税を課すことになるとし、調査に入ると表明した。
こうした状況を見て筆者が思い出すのは、鄧小平の「日本参観」である。
改革解放を決断した鄧小平は、中国の近代化のために参考にすべきは戦後復興を成し遂げた日本だと考えた。1978年日本を訪問すると、新幹線の速さに驚き、松下電器門真工場、新日鉄君津製鉄所、日産座間工場など、日本を代表する会社の工場を見学した。
帰国した鄧小平は日本で受けた衝撃と感動を、 共産党の幹部が学ぶ党中央校に赴き、「 日本の労働者は汗を流して真面目に働いている。工場は整理・ 整頓されていて美しい」と講話をし、「日本に学べ」 とハッパを掛けた。
鄧小平の熱意に応えて中国進出したのは松下電器、新日鉄だった。
数年後、鄧小平は日本とドイツの自動車業界にも進出を強く要請した。しかし、中国の技術レベルは低く、部品を日本から輸出して製造する以外に方法がない。それでは高価になりすぎて売れないと日本の企業は進出を断念した。
だが、独フォルクスワーゲン(VW)の判断は違った。
要請からほぼ1年後の1985年に、外資では最初に上海に進出した。中国の故事に「雪中送炭」というものがある。雪の中で寒い思いをしている人に暖をとるために炭を送る、つまり困っている時に救いの手を差しのべるという意味だが、まさしく中国にとって雪中送炭してくれたVWは、その後も中国から特別待遇を受け続けている。
一方、誘致を断ったトヨタが中国に進出できたのは2002年。世界の主たる自動車メーカーが進出した後であり、中国の対応は冷ややかで苦労が続いたことはあまり知られていない。
ところがここに来て、VWは特別待遇を受け続けていたことが、マイナスとなって跳ね返っている。それがEVだ。
中国は産業の急速な発展で「公害大国」となった。世界から非難され、それを回避するために、中国は脱炭素戦略に舵を切った。EVに注力し、自動車大国になることを決断した。
2017年にVWが中国企業と共同でEV開発・生産することを決めると、他の欧米メーカーも追随した。さらにEUは、日本車のシェアを奪う戦略を立て、2035年以降はエンジン車の新車販売禁止を打ち出した。
つまり、EV化を急ぐことで、中国市場で勝ち、かつ、世界の市場からハイブリットに強い日本車を駆逐することを考えたのだ。
ところが、もともと中国はリチウムイオン電池の王国だった。いまや世界のバッテリーセル製造の約8割の担い、材料のリチウム生産でも欧米を遥かに凌駕する。その中国が政府の支援で、EVで世界を圧倒する自動車産業立国を目指しているのだ。
欧州の自動車メーカーはEV時代に備え、内燃機関の開発研究を止めたところが大半だ。
その後、内燃機関の2035以降原則禁止は見直されたが、それが延長されようが、中国製EVに相殺関税をかけようが、生き残るのは至難の業だ。
一方、誘致を断ったトヨタが中国に進出できたのは2002年。世界の主たる自動車メーカーが進出した後であり、中国の対応は冷ややかで苦労が続いたことはあまり知られていない。
ところがここに来て、VWは特別待遇を受け続けていたことが、マイナスとなって跳ね返っている。それがEVだ。
中国は産業の急速な発展で「公害大国」となった。世界から非難され、それを回避するために、中国は脱炭素戦略に舵を切った。EVに注力し、自動車大国になることを決断した。
2017年にVWが中国企業と共同でEV開発・生産することを決めると、他の欧米メーカーも追随した。さらにEUは、日本車のシェアを奪う戦略を立て、2035年以降はエンジン車の新車販売禁止を打ち出した。
つまり、EV化を急ぐことで、中国市場で勝ち、かつ、世界の市場からハイブリットに強い日本車を駆逐することを考えたのだ。
ところが、もともと中国はリチウムイオン電池の王国だった。いまや世界のバッテリーセル製造の約8割の担い、材料のリチウム生産でも欧米を遥かに凌駕する。その中国が政府の支援で、EVで世界を圧倒する自動車産業立国を目指しているのだ。
欧州の自動車メーカーはEV時代に備え、内燃機関の開発研究を止めたところが大半だ。
その後、内燃機関の2035以降原則禁止は見直されたが、それが延長されようが、中国製EVに相殺関税をかけようが、生き残るのは至難の業だ。
(団勇人・ジャーナリスト)