長嶋茂雄×野村克也「実録ライバル史」(15)プロ入り4カ月で「巨人の4番」に

 1958年8月6日、巨人・長嶋茂雄は対広島17回戦(広島)で、打撃の神様と呼ばれた川上哲治に代わって初めて4番に座った。水原茂監督(当時は円裕)の大抜擢だ。

 球界を代表する「巨人の4番打者」に、プロ1年目のシーズン開幕からわずか4カ月で就任した。通算85試合目だった。以後17年間栄光の座を守り続ける。

 並みの打者なら萎縮するところだが「黄金ルーキー」は違った。4回に3番・与那嶺要が出塁すると先制の17号2ランを右翼席に叩き込む。水原監督の期待に見事応えた。

 4月5日、国鉄(現ヤクルト)との開幕戦で金田正一から4打席連続三振を喫したが、まったくめげる様子はなかった。6日の第2戦、三林清二から中越えのプロ初安打となる二塁打を放った。プロ10打席目だった。10日の大洋戦(後楽園)で左腕・権藤正利から左翼席に先制2ランを運んだ。プロ1号だ。

「最近の体の調子は非常にいいが、カンという点でもう1つ足りない。金田さんにやられた4打席連続三振はひどすぎますよ。あれでガクンときているのです」

〝金田ショック〟を引きずっていたようだ。

 2カ月間は打率1割台が続いた。だが、プロの厳しさに触れ反省して原点に戻った。切り替えは早い。プロのスピードに慣れ始めると力強い打撃が甦った。

 5月10日の中日4回戦(中日)で中山俊丈から第6号本塁打を放って本塁打・打点部門のトップに立つ。14日の阪神戦では4打数3安打で打率が3割に達する。新人とは思えぬ勝負強い打撃で、チームの勝利に貢献した。

 特に固め打ちを得意とした。6月22日の大洋戦(川崎)では1試合3本塁打を放った。これは新人としてはリーグ初の快挙だった。3本はそれぞれ違う投手だった。真芯で捉えて、全て左翼場外に消えた。

 だが、この年のハイライトはいまだに語り継がれる「幻の本塁打」だ。9月19日の広島23回戦(後楽園)、5回裏1対1のタイスコアで回ってきた第3打席、鵜狩道夫から左中間最深部へ「28号弾」を放った。新人としては27本塁打を塗り替える新記録である。

 しかし広島は「(一塁)ベースを踏んどらんがな」と抗議した。ベースの内側10㌢を踏んで駆け抜けていた。スパイクの跡が残っていた。巨人の抗議も迫力がない。公式記録は「投ゴロ」である。

 この年、長嶋は29本塁打、92打点で、本塁打・打点で新人2冠王を獲得した。現在も長嶋だけが持つNPB史上に燦然と輝く大記録だ。打率も3割5厘で、首位打者の阪神・田宮謙次郎に1分5厘差の2位だった。新人としてNPB史上初の3冠王獲得にもう一歩だった。

 巨人は4連覇を達成。長嶋は130試合全イニングに出場し、打撃部門の主要なタイトルを獲得して満票で新人王に選ばれた。

 37盗塁をマークしていたが、幻の本塁打で打率3割、30本塁打、30盗塁の技術・パワー・スピードの高いレベルを証明する「トリプルスリー」は逃した。

 NPB誕生から2022年で86年、これまでトリプルスリー達成者は10人(ヤクルト・山田哲人は3回)だ。実質的には、長嶋も達成していたのだが‥‥。

 長嶋は周囲から大きな期待を集め、またその期待をはるかに上回る成績を残し観客を熱狂させた。そんな新人はいなかった。

 長嶋は金田から7月1日、23打席目にして初本塁打を放った。初年度の対戦成績は打率1割7分9厘、1本塁打、11三振で終わった。長嶋は翌年、お返しをする。

猪狩雷太(いかり・らいた/スポーツライター)スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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