平成を語る上で欠かせない経済事件の一つと言えるのが、「村上ファンド事件」だろう。
2006年6月23日、村上ファンドがニッポン放送株の取得においてインサイダー取引をしていたとして、代表の村上世彰氏が逮捕された。
「村上氏は小学校3年生のとき、父親から“大学までの小遣い”として100万円の現金をもらい、それを元手に株取引を始め、大学を卒業する頃には1億円ほどに増やしたという強烈なエピソードがあります。1983年に東京大学法学部を卒業すると、当時の通産省に入ってエリート街道を進みますが、99年に退官。M&Aコンサルティング、通称村上ファンドを立ち上げ、投資や企業買収に関わるようになったのです」(経済ジャーナリスト)
翌年の2000年には不動産投資事業会社「昭栄株式会社」に対し、日本で初めてとなる敵対的TOB(株式公開買い付け)を行う。さらにその翌年にはアパレルメーカー「東京スタイル」株の9.3%を買い占め筆頭株主となり、会社の方針に口出しをして“物言う株主”として世間にも認知されていった。
その後も03年には「ニッポン放送」株の7%を取得し、04年には「日本フエルト」や「住友倉庫」の筆頭株主になり、05年には「タカラ」「大阪証券取引所」「阪神電気鉄道」と次々株式を取得して大株主や筆頭株主になるなど投資規模を拡大していく中で、あの事件が起きる。
「06年に村上ファンドがライブドアから情報を得てニッポン放送株を買っていたのではないかというインサイダー取引疑惑がマスコミに報じられると、村上氏は東証で記者会見を開いて『(ライブドアから情報を)聞いちゃった』と発言をして世間を驚かせた上、当日に逮捕。インサイダーの事実は無かったと一転無罪を主張しますが、11年6月に懲役2年(執行猶予3年)、罰金300万円、追徴金11億4900万円の東京高裁判決が確定したのです」(週刊誌記者)
その後は拠点をシンガポールへ移し、その名を聞く機会も少なくなっていた村上氏。しかし昨年になり、出光興産と昭和シェルの経営統合のまとめ役を担い、1月からは中高生に投資資金を貸す活動を始めるなど、再び静かにその存在感を示しつつある。
(小林洋三)