国家公務員試験の受験者が年々逓減してきているとのニュースに接した先日、その原因を分析したある大学教授の指摘に唸った。
「公務員は『黒子』との意識が学生の人気を下げている」との指摘。まさに図星だろう。
数年前のことだった。財務省で初めて一橋大学出身でありながらも事務次官に昇進した人物の月刊誌への寄稿記事を見て愕然とした。「役人は政治家の犬」だなどと恥じることなく明記していたからだ。
東大出身でないからこそ、規格外のエネルギーや覇気を期待されていた筈だが、全く凡庸で平板だった。「官庁の中の官庁」と称されてきた組織のトップがこの程度の器で務まるなら、世も末だ。
昨年末、外務事務次官が交代した。主要紙では小さな記事の扱いで、注意していなければ見落とすほどの扱いだった。新旧の次官交代式で、未曽有の危機に瀕している今の国際情勢について省員の士気を喚起し、世論の覚醒を促すような警世の見立てが開陳されることなど、決してなかった。某財界人は外務次官が代わったことさえ知らなかったとぼやいた。
それもこれも、すべて「政治主導」の掛け声のもとに、役人は黒子で目立たないことが美徳だとの認識が霞が関内外で定着してきたからだろう。
そんなある日、元気一杯で仕事熱心な外務省の後輩から、窮状を訴える書簡が届いた。
「外務省の若手は、『平凡であること』が求められます。平凡であるべしとの圧力すら感じることもあります。とにかく黙って働き、自分の意見も言わずに上から言われたことをそのとおりに効率よくこなし、馬車馬のように働くことが求められます。目立つことや、発信することもあまり良しとされません」
「このような空気を外務省の若手は感じ取り、どんどんと外交についての意見を持たなくなり、自己研鑽の意欲も失っていきます」
実に深刻だ。これでは、官僚側の健全なプライドも育たなければ、世間のリスペクトが無くなるのも時間の問題だろう。否、プライドとリスペクトの双方とも既に失われつつあるからこそ、一線級の人材が集まりにくくなっているのだろう。
かつては、こんなことはなかった。東大法学部の「ベストアンドブライテスト」は国家公務員・外交官か法曹を目指したものだ。両方ともパスした天下の大秀才が財務、経産、外務などの主要省庁に入ってくることも珍しくなかった。
今はどうか?一橋卒が財務次官となり、早大卒が外務次官となり、慶早出身者が駐米大使を務めるような時代の変遷が悪いとは言うまい。明治の開国以来、日本の受験教育制度の頂点に立ってきた東大、とりわけ文系がどのような人材を輩出してきたのか?といった問いかけも欠かせないからだ。
だが、その一方で確実に進行してきたのは、国家を支えようとの高い士気と事務処理能力を持って天下国家を担うべきはずの官僚の劣化だ。政治家に尻尾を振らないと偉くなれないとの「調教」が確実に進んできた。
「政治主導」のお題目に胡坐をかいた政治家の中からは、各省幹部からの説明をうざったそうに聞き、説明者の話とは無関係に配布資料の頁をめくり続けてついには裏返しにしてしまう官房長官が現れた。主要閣僚経験者の中には、役所側から聞く政策説明が自分の気に入らないと、「出禁だ、出禁だ」と喚く者さえ誕生した。
そして、この程度の見識と作法の政治家が幹部官僚の人事を決めていく。
馬鹿らしくてやっていられないというのが公務員の本音だ。だから、辞めていく。そして、質がさらに劣化していく。どこかで止めないと、本当にとんでもないことになる。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。