「それでもお米は高いと感じますか?」JA全農山形の新聞広告に批判殺到「カネの無駄遣い」

 JA全農山形が新聞に掲載した「今日のあたりまえが、未来へもつながるように。ご飯お茶碗1杯の価格は約49円 菓子パン約231円、カップ麺約187円、ハンバーガーは約231円 それでもお米は高いと感じますか?」という紙面広告が、思わぬ批判を浴びている。

 広告は見開き2ページを使っており、インパクトはかなりのもの。コピーはそのあと「『対等互恵』 作る人と食べる人、互いに『食』という恵みを分かち合うことが大切だと考えています」と続いている。

 たしかに1杯約49円という数字は分かりやすく、安価に見える。しかしその背後には、いまだ私たちの食卓に届かない「備蓄米」の存在と、生産者の高齢化や物流コストの上昇という現実が横たわっている。

 災害やパンデミックなどの非常事態に備え、国は約100万トンの米を買い入れ備蓄してきた。しかし、今回放出された備蓄米のほとんどが適切に流通せず、消費者が安いコメを手にできない矛盾が生じている。JA全農山形は現在の「農畜産物価格」は、決して高くはないと訴え理解を求めているが、そのメッセージは日々の家計に苦しむ消費者の実感と大きく乖離している。

 Xではあまりにも空気を読まないJA全農に非難轟々だ。

「ハンバーガーやカップ麺などの加工品と比較して『ご飯のほうが安いでしょ』ってアホなのか」「比べるなら食パン1斤、うどん1玉だろ」「広告を出す金があるなら、さっさと備蓄米を出荷しろよ!」「紙とインクのムダ遣い」

 そもそも広告の意図は、食料自給率向上や地元農家支援の重要性を訴え、長期的な視点でコメの価値を見直してもらうことにあったはずだ。しかし、備蓄米の流通すら滞っている最中に、「コメは決して高くない」と訴えては、「ごまかし」や「上から目線」と受け取られかねないのではないか。

 広告の言葉が真に未来へつながるためには、消費者の信頼を得る地道な取り組み、まずは流通・加工・小売の各段階でのコストの透明化が不可欠だ。お茶碗1杯の価格を語る前に、まずはその1杯がどのように私たちの元へ届くのか―─そのプロセスを一緒に考えることから始めたい。

(ケン高田)

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