石原氏は企業側は「クレームが来たら面倒くさい」というのが本音ではないか、と分析する。
「今年の初め、三重交通が同社のキャラクターの名前を公募したところ、その女性キャラが『内股で片足跳ね上げて腰をくねらせたポージングは働く女性を貶めている』と抗議を受けた。でも三重交通は、『変更はありません』と突っぱね、そのキャラも三重交通の評判も上がりましたからね」
「こりゃまた失礼しました」じゃ済まない時代なのかも。
インパクトの強さでは小指を立てるポーズで「私はこれで会社を辞めました」の「禁煙パイポ」(84年)、さらに強烈だったのが、公共広告の「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」に勝るキャッチコピーはなかった。
「やっちゃったらもう人間じゃないのか。更生の道は閉ざされているのか、になってしまいますよね。その後も人生は続いているはずなので、令和の考えでは受け入れられないのかもしれません。当時、覚醒剤の恐ろしさをまだまだ知らない人が多かった。時代的な役割はありましたよ」(石原氏)
マグナム氏は覚醒剤を題材にした作品に出演した体験を語る。
「安部譲二さん原作の組長シリーズで、主演東清美の『薬づけの娘(おんな)』(87年)に出演したんですよ。注射打つシーンは元看護師の女優が、注射器でビタミン剤を打つんだけどね。最後にテロップで『覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか?』と入れてたよ。監督は『これさえ入れときゃいい。覚醒剤を推奨してると思われたら発売できないから』って言ってたなぁ。でも、やったことある人は『あんなものくらいで人間やめないぞ』っていうよね。クスリやったからって人間をやめるわけじゃない」
昭和の艶ビデオも負けず劣らずアバンギャルドだった!
【令和じゃありえない!放送禁止CM】
日産「セフィーロ」(88年)「みなさ~ん、お元気ですか?」助手席の井上陽水がパワーウインドウを下ろし笑顔を浮かべるご機嫌なCM。放映直後に、昭和天皇の病状悪化が伝えられ、列島は自粛モードとなり、陽水の声が消された。キャッチコピー「くうねるあそぶ。」は糸井重里氏
富士フイルム「フジカラー」(80年)「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」のセリフが大流行。店員(岸本加世子)と常連客(樹木希林)の名コンビによるやり取りがシリーズ化された。04年に店員役が岸本から長瀬智也に交代、フィルムカメラの衰退も相まってCMも消えた
ハウス「シャンメン」(75年)「私作る人 ボク食べる人」という結城アンナと佐藤佑介の会話は「男は仕事、女は家事・育児という従来の性別役割分担をより定着させる」と「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」のメンバーが抗議。要請を受け、CMは中止となった
公共広告「覚せい剤追放キャンペーン」(83年)日本民間放送連盟が頻繁に放送した「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」は強烈すぎるインパクトを残した。「覚せい剤は確実に、そして無残にあなたを破壊します」と淡々と読み上げる恐ろしい静止画にトラウマになる人が続出
資生堂「アペリオ」(83年)「近頃、写真写りがよくなったって言われるの」白タンクトップから下胸丸出しのMIEが、のけ反りながらゴクリ。見えそうで見えないバストの下弦に視線は釘づけ。81年のピンク・レディー解散以来、突き進んでいたお色香路線の賜物だった
宝焼酎「純」(82年~)「多摩川に鮭を戻そう」というカムバックサーモン運動でおなじみの純のCM。そもそも多摩川には鮭が棲息せず、放流すると生態系への悪影響を及ぼすという反対意見が多かった。石原良純がテニスギャルのアンスコを覗く“不純”なシーンもあった
三菱鉛筆「プロッキー」(87年)白いワンピース型のハイレグ水着姿の女性の胸部をマジックペンを手にした複数の手がコキコキと塗り潰す。一枚水着を剝ぐと「プロッキー」は裏写りしないという演出。胸部に落書きされ、くすぐったそうなしぐさをするのは若き日の浅野ゆう子!