「さらば原チャリ」俺たちの記憶に残る名車たち(3)90キロ加速でウィリーもできた

 原付販売合戦が過熱するにつれ事故が増え、ついに制限速度が30キロ以下の道路も含むすべての道路でのヘルメットの着用が義務化された。マグナム氏は言う。

「昔のメーター90キロまで付いてたよ。軽くて小さい原付の90キロの体感はエグい。ちょっとした小石で転倒しちゃう。スズキのHiなんてノーマル車でウィリーもできたからね。やっぱり原付の全盛期はノーヘルだった頃までちゃうの? 『さらば青春の光』はモッズコート、『探偵物語』の松田優作はハットでベスパ乗ってたんだから。メットかぶってたらカッコ悪い。メットかぶるんだったら中型免許とか大型の限定解除に行くよ。それと70 年代後半から80年代中盤まではヤンキー文化が花盛りで、ヤンキーじゃないと恥みたいなところもあった。メットなんかかぶったらヤンキーたち自慢のリーゼントが崩れるやん。乗りたないわけや」

 あの頃と比べて街で原付を見かけることが少なくなった気がする。マグナム氏は令和の駐車事情を嘆く。

「若手の芸人はお金ないから劇場まで原チャリで行くんだけど、止めるところがない。バイク用の駐車場まで止めに行ったら、劇場まで2駅も離れたって。何のための原チャリだかわからないよね」

 原付の需要が減った理由を中村氏が明かす。

「原付の便利さがどんどん法で縛られてしまった。ノーヘルでよかったのにヘルメット着用。昔と違って今はどこに乗って行っても駐車禁止で捕まっちゃうんで。これは原付以外のバイクも含めてですけど。二段階右折だとか30キロ以上出したらすぐに捕まるだとか。そんな不便な乗り物なんて誰も乗りませんよね」

 その一方で、利権の臭いがプンプンする電動キックボードが免許不要というのも釈然としないのだが‥‥。

 とっておきの原付の思い出を、らっきょ氏が披露して締めくくる。

「80〜81年、久留米にいた頃、まだヘルメットなしでもいい時代でしたけど、僕はちゃんとヘルメットはかぶってましたね。道交法が変わって原付がヘルメット着用になった後、テレビで僕の頭皮に直接ヘルメット柄をペイントして、原付バイクを引いて交番前をウロウロ歩いたらどうなるのか? というドッキリ企画をやったんですよ。今にもバイクに乗っちゃうぞと見せかけたりして。でも注意されることはなかったですね。『何してるんだ、コイツ』という警察官の突き刺すような視線は感じましたけど(笑)」

 気ままに楽しかった昭和原チャリの記憶は永遠だ。

*週刊アサヒ芸能9月26日・10月3日号掲載

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