「さらば原チャリ」俺たちの記憶に残る名車たち(2)「ホンダvsヤマハ戦争」勃発!「DJ・1は打倒JOG」

 79年に勃発したホンダとヤマハの熾烈な販売争い、いわゆる「HY戦争」を中村氏が回顧する。

「当時のヤマハの社長が『業界の盟主の座を狙う』と宣言。それからホンダが本気を出して開発と販売合戦が激化したんです。台数勝負なので一番安い原付バイクの売り上げを重視。とにかく台数を伸ばしたいからHY戦争用に明らかにコストを抑えた車種が出てきた。ホンダのスカイとか。乗れりゃいいというしょぼいバイクでした。定価7万5000円のところをスーパーなんかで2万9800円とかで売ってましたよ。同じホンダでもタクトは12〜13万円だったので破格でした」

 芸能界一の快足・井手らっきょ氏(64)は原付バイクとの出会いを話す。

「熊本にいた高校の野球部はバイク禁止。予備校時代はダックス。その後、久留米大学に通うんですが、スーパーカブに乗ってましたね。カブは配達専用バイクのイメージで地味だけど、いいんだよ。故障もしないし。東京に来てからはDJ・1。たけし軍団に入る直前、85年頃かな。当時、世田谷の豪徳寺に住んでいたけど、たけし軍団が加入している草野球場は神宮。そこまではちょっと距離があるので便利でした。九州時代に乗っていたカブと比べると、DJ・1のパワーと加速感は段違いだったので驚きましたよ」

 スキンヘッドでヒゲ面、ボブ・サップ似の黒人がディスクジョッキーに扮して「DJ〜DJ〜」とノリノリでコミカルに踊りまくったホンダのDJ・1のCMは今も記憶に新しい。

「ヤンチャ系スクーター、ヤマハのJOGが大人気で、それに対抗したのがホンダのDJ・1。これはホンダが公式に言ってるわけではないんですが、打倒JOG(DJ)・ナンバーワン(1)の略で車名を付けたのでは? と言われています」(中村氏)

 さらに、先のらっきょ氏は当時を述懐して、

「阿佐ヶ谷に住んでいたおねぇちゃんのところに行く時にDJ・1は重宝しましたね。あのあたりは道が狭いし、時間帯によっては混むから車だと遅くなる。小回りが利くスクーターが便利なんですよ」

 94年、ビートたけし(77)が原付バイク事故を起こし、顔面麻痺の大ケガを負ったことがある。たけしが乗っていたのはヤマハのJOGだった。

「普段、運転手付きの車で移動する殿ですから、原付バイク事故と聞いて驚いた。バイクのメーターはわずか3キロしか走ってなくて。軍団の若手に『原付に乗るから買っておいてくれ』と用意させていたんです」(らっきょ氏)

(つづく)

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