永江朗「ベストセラーを読み解く」小泉今日子や芥川賞作家など福岡博士と考える「生命理論」

 大ベストセラー「生物と無生物のあいだ」(講談社)などで知られる生物学者・福岡伸一の対談集。14年に出た単行本に加筆修正し、新たに小泉今日子との対談を加えた新書である。

 対談相手の顔ぶれが豪華だ。この対談後にノーベル文学賞を受賞するカズオ・イシグロ、芥川賞作家の平野啓一郎、同じく芥川賞作家で僧侶でもある玄侑宗久、インフレーション宇宙論の佐藤勝彦、「銃・病原菌・鉄」のジャレド・ダイヤモンド、建築家の隈研吾、芸術文明史家の鶴岡真弓、画家の千住博、そして小泉今日子。9人のジャンルはさまざまで、福岡の守備範囲が広いことに驚く。

 キーワードはタイトルにもなっている「動的平衡」。いったいどのような概念なのか。

 私たち生物の体は常に変化している。皮膚や毛髪が絶えず古いものと置き換わるように、全身の細胞が入れ替わる。「男子、3日会わざれば、刮目して見よ」という言葉がある。人間は短期間で成長するという意味だが、ここでの成長(あるいは変化)は内面の話。しかし身体も常に入れ替わっている。常に変化しているが(動的)、外からは同じ形態が保たれている(平衡)ように見える。

 小泉今日子との対談の冒頭「人間の体は蚊柱のようなもの」という話が出てくる。蚊が群がって飛んで柱のようになっている、あれが人体だというのだ。蚊柱は同じ蚊が飛び回っているのではなく、蚊柱に入ってくる蚊もいれば出ていく蚊もいる。でも全体としては安定した(というのも変な表現だが)蚊柱の形をとるというのである。それと同じように私たちの体も、食物という形で外界にあるものを取り込み、いらないものを排泄する。

 ただし、新陳代謝とは違う。「古い細胞が死んで新しい細胞ができるという、そういう、たんなるチェンジじゃないんだ」「生命体は率先して、先回りして壊している」のだと福岡は言う。このへんの細かな議論は本書や福岡の著書を読んでほしい。

 カズオ・イシグロとの対談では、記憶はある種の幻影なのだという話が出てくる。細胞と同じように、「記憶もまた、常につくり直され、書き換えられ、再構成されています」と福岡は語る。イシグロは「記憶とは、法廷における頼りにならない証人のようなものです。人は、自分の必要に応じてものごとを記憶します。そこには、その人のそのときの状態が反映されている」と言い、「私が作家として心を奪われるのはこの点です」と言う。なるほど「日の名残り」にしても「わたしを離さないで」(いずれも早川書房)にしても、彼の小説は記憶が重要なテーマである。

 どの対談も示唆に富んでいる。単行本が出たのは10 年前であり、この間、世界には、紛争や戦争、災害、そしてパンデミックがあったが、どの対談も有効性を失っていない。それは生き物としての私たちは変わっていないから。細胞は入れ替わっても、10年ぐらいで人間は進歩しない。

《「新版 動的平衡ダイアローグ 9人の先駆者と織りなす『知の対話集』」福岡伸一・著/1100円(小学館新書)》

永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。

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