私たちは日頃「あの人はセンスがいい」とか「センスがない」などと簡単に言う。だが、センスとは難しいものだ。
例えばファッションのセンス。お金をかければいいというものではない。上から下まで高級ブランドで固めたからといって「センスがいいね」とほめられるわけではない。むしろ悪趣味だと陰口を叩かれてしまう。逆に、お金はかけていないのに、センスのいい人がいる。もちろん、お金をかけなければいいというものでもない。「センスを磨く」なんていうけれど、そう簡単なことではない。ファッション雑誌を何冊読んでも、センスがよくなるとは限らない。
千葉雅也はいま最も注目される若手哲学者にして小説家である。「勉強の哲学」や「現代思想入門」はベストセラーになった。小説は、芥川賞や三島由紀夫賞の候補になった。千葉が新たなテーマに選んだのはセンス。「現代思想入門」では、難解なフランス現代思想を平易に解説したが、本書は、現代思想を美学・芸術学へ応用する考察だ。センスとは何かから始まり、やがてセンスそのものを解体していく。
「センスとはヘタウマである」という言葉に膝を打つ。なるほど!
精巧に描かれた写実的な絵を見ると「上手いな」と思うが、必ずしもセンスがいいとは感じない。上手くてもセンスの悪い絵もある。
センスのいい絵は技術的な巧拙を超越して「いいな」と思わせる。ヘタウマは子供が描いた拙い絵のような感じなのだが、器用に写実的に描いた絵よりも生き生きとした感じを受ける。ヘタウマは下手なように見えて上手く、ただ上手いよりももっと上手い。
センスを磨くためには、「○○であるべき」「○○でなければいけない」という規範意識から自分を解放する。アート作品を鑑賞する時も映画や文学を楽しむ時も、テーマだとか目的だとか意図だとかメッセージだとかにとらわれると、たちまち感想が薄っぺらくなる。それよりも、目の前にある絵の線や色彩そのものを味わう。映画の中で起きていること、小説や詩の文章そのものに注意を向け、存分に楽しむ。
とはいうものの、ことはそう単純ではない。この本は後半にいくに従って難しくなっていく。センスを巡る抽象的な思考が突き詰められていく。タイトルを「センスの哲学」とした所以である。
センスを磨くためには「○○であるべき」という意識から解放されたほうがいいと述べた。しかし、そうした規範意識やテンプレを批判する姿勢もひとつのテンプレに陥っている可能性がある。狙ったヘタウマはわざとらしい。そのあたりのさじ加減を間違えると「粋」はたちまち「野暮」に転落する。さらに複雑なことに、時には「野暮」が魅力的な場合もある。
センスの良し悪しは紙一重で、その境界線は状況によって動く。センスにこだわるのもセンスが悪いというジレンマもある。ああ、やっぱりセンスは難しい。
《「センスの哲学」千葉雅也・著/1760円(文藝春秋)》
永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。