99年に入社したテレビ朝日では、「やじうまワイド」「朝いち!!やじうま」などの情報番組を担当した龍円愛梨氏(47)。今は、都議会議員として忙しい日々を送っている。
「17年に初当選して、2期目も残すところ1年。これまでの7年間は『インクルーシブ』をテーマにお仕事をさせていただきました。まさかここまで思い描いていたことが実現できるとは思いもしませんでした」
龍円氏が実現させた地域政策のひとつが「インクルーシブ公園」。インクルーシブとは「包摂」を意味している。
「それまで障害のある子を持つ親御さんの多くは、公園で遊ばせることを諦めていたんです。そこで、日本初の試みとして20年にオープンしたのが『みんなのひろば』(世田谷区)。背もたれがついたブランコなど、障害がある子供たちでも安心して遊べる遊具がそろっています。この公園をきっかけに、日本中にインクルーシブ公園が広まっていったのもうれしかったですね」
龍円氏自身も障害を持つ子を育てるシングルマザーだ。11年にテレ朝を退社して渡米。13年にカリフォルニア州でダウン症の長男を出産した。
「アメリカではインクルーシブ・プレイグラウンド(公園)が当たり前のようにあって、特に意識することなく子供と利用していました。しかし、日本に帰国して子供と公園に行ったら、とても危なくて遊ばせられない。公園だけではありません。障害児を持つ世帯へのサポートという点で、日本の行政は30年くらい遅れていると言えます」
帰国後、障害児を育てる全国の母親たちと交流を持ち、小池百合子都知事が16年に立ち上げた「希望の塾」に参加。17年の都議選で当選を果たした。
「立候補した時、子供はまだ4歳。子育てと政治の仕事を両立できるかとても不安でした。夜間にダウン症の子供を預かってくれるところもなく、都議会の審議が深夜2時まで及んだ時は母を頼るしかありませんでした。でも、こうした自分の困りごとが仕事に生かされているのも事実。社会的弱者の目線を持っているのは、政治家として大きな強みだと自負しています」
政治家として政策を実現させていく上で役立ったのがアナウンサー時代に培った〝発信力〟だった。
「都議会の全議員、そして都知事、副知事、局長クラスの方たちが話を聞いてくれる貴重な場で、普及啓発の場でもあると思って真剣に取り組んでいます。ただ原稿を読むのではなく、伝えることを第一に考えて発言をしていたら、他の議員さんが『いい質問だったね』と声をかけてくださいました」
そんな龍円氏にテレ朝時代の思い出を聞くと、
「思い出深いのは『おかずのクッキング』。土井善晴先生と4年くらいご一緒して、家庭料理の魅力をイチから学ばせていただきました。私が起用されたのは『お料理1年生』というコーナーがきっかけで、一番料理がヘタなアナウンサーを探していたら『それなら龍円だ』と即決だったとか(笑)」
弱みや困りごとを武器に変えて、龍円氏は政治活動を続けていく。
「特に力を入れているのは教育。これまでの5年間、文教委員会に所属して、インクルーシブ教育の必要性を訴えてきました。日本では障害がある子を別の教室や学校で教える分離教育が推進され、足並みをそろえるかのように、東京ではこの10年で不登校の児童数が急増し、中学校では2.5倍に増えています。多様性を受け入れる教室作りを進めることで、色々な特性を持つ子供にとっても学びやすい環境が整い、不登校も減ると考えています」
今年からフリースクールへの支援が本格実施されるのもインクルーシブ教育推進の成果だという。龍円氏には長男と二人三脚で教育改革に努めてほしい。
*週刊アサヒ芸能6月6日号掲載