“シルクといえば石田!”そんな風に呼ばれていた僕でしたが、シルク布団販売で失敗をしてしまい、長きにわたったシルク業界から手を引くことにしました。かといって、いつまでも挫けているような僕じゃありません。次に面白そうだなと目をつけたのが、オーダーメイドのバッグ販売でした。
いまでもハイブランドの「エルメス」のバッグは超高級品ですが、当時の日本でも大人気で、バッグ1つが何百万円もすると聞いて、ふと思いついちゃったんです。
香港ではオーダーメイドの革のバッグがたくさん作られていました。ワニ革であろうが、ダチョウ革であろうが、牛革であろうが何でもありました。そこで僕は、オーダーメイドのバッグを販売することにしたのです。仲の良い友人が一流ホテルの中にお店を構えていたので、そこから届けるという安心感もありました。すると、これがまた飛ぶように売れたんです。
「エルメス調」のバーキンタイプとケリータイプとして、バーキンタイプは2万9000円、ケリータイプは1万5000円で販売しました。もちろん、あくまでエルメス“調”でございます。
で、女性週刊誌やブランド雑誌などに「香港の一流店からお届けするオーダーメイドバッグ」という広告を3ページほど入れると、とにかくどんどん注文が入ってくるわけです。それを香港にオーダーするという流れでした。
ところが、ある日のこと。突然、「エルメス」から裁判を起こされたんです。といっても、僕の売っているバッグは「エルメス調」ですからね。結局、勝訴か敗訴かとははっきり言えないのですが、まあ、そんな裁判を2年間ぐらいやっていました。
でも今は、そういう商品自体がまったくもって日本には入ってこられません。税関がストップしてしまった。これ、恐らく僕が原因だったんでしょう。
でもね、いまだに自分のなかではどこまでが良くて何が悪いんだか、わからないんです。デザインなど同じような物は今でもいっぱい売っています。だから名前さえ使わなければ良かったのかなぁと。それこそ「石田バッグ」とかつければよかったんでしょうけど、それじゃ誰も買いませんよね(笑)。
ただひとつ言えるのは、たとえ「〇〇調」だとしても、「エルメス」というブランド名を使うことで、お客様の購買意欲をあおってしまったということ。よくよく考えてみれば、卑怯な気持ちが僕の中にあったんだなと反省しました。当時はとにかく生きていかなきゃいけないんだと、そのために商売で儲けてやるんだという気持ちが強かったのですが、良いか悪いかという線引きも100%理解できていませんでした。
オーダーメイドバッグの一件から、徐々に将来の自分というものを見つめてじっくりと考えられるようになったのです。自分だけじゃない、そうしたものに手を伸ばしてしまえば従業員も、またその家族も路頭に迷うんだと。気がつくのが遅かったかもしれませんが、40歳の僕にとって、大きな転機となったのは事実です。
石田重廣(いしだ・しげひろ)株式会社夢グループ、株式会社ユーコー代表取締役社長。1958年7月1日生まれ、福島県出身。自ら出演する「夢グループ」のテレビショッピングで大人気。昨年、保科有里とのデュエット曲「夢と…未来へ」で歌手デビュー。今年8月30日に第2弾シングル「やすくして♡」を発売、ネット上でも話題に。