6月7日(日本時間8日)のカブス戦でエンゼルスの大谷翔平が二盗を決め、この時点で自身の盗塁記録をMLB通算74としたが、これは日本人メジャーの通算1000盗塁ともなった。
このメモリアル達成と同時に浮上したのが「日本人選手の盗塁第1号」の記録だ。意外なようだが、その記録保持者は現千葉ロッテ指揮官で、投手だった吉井理人監督だった。ロッキーズ時代の2000年4月26日に記録している。
「当時のナ・リーグはDH制ではなかったので、吉井監督も打席に立っていました。吉井監督は近鉄、ヤクルト時代から走塁センスが光っていたわけではありません。ただ、この時は出塁して1塁ベースにいても『投手の走者』ということで相手バッテリーが全く無警戒だったんです。結果、捕手も送球できないほど、完全に相手投手のモーションを盗んでいました」(球界関係者)
当時のロッキーズ指揮官だったバディ・ベル監督は、吉井監督が見せた、相手投手の投球モーションが大きいと判断したらためらわずに二盗を仕掛けた積極性と、なにより「スキがあれば」という貪欲な姿勢に感心したという。
「吉井が走った時は、『まさかピッチャーが走るのか』という驚きの声があがったといいます。MLBでは盗塁のサインがベンチから出ることが少なく、選手個々が『行ける』と判断したら、自由に走るケースが多いですね。もっとも大差のついた場面では走らないなど、日本とは違った考え方も定着していますが」(米国人ライター)
大谷が達成したメモリアル盗塁は、今シーズンのチームトップの8個目でもあった。しかも、この時はすぐさま三盗もきめて記録を9に伸ばしている。
大谷はDHで出場した試合は野手の1人として攻撃に参加する。吉井監督が示した「スキあらば」の姿勢は大谷にも継承されているようだ。
(飯山満/スポーツライター)