先月27日、腹膜がんのため亡くなった葛城ユキさん(享年73)。「ボヘミアン」などのヒット曲で知られるハスキーボイスが印象的なロック歌手だが、実はデビュー前に実業団バレーボールの選手だったことはあまり知られていない。
高校時代は国体に2回、インターハイにも1回出場する全国区のアタッカーで、卒業後は地元の実業団チーム「クラボウ(倉敷紡績)」に入団。91年に廃部となったが50〜60年代の国内最強チームの一角に数えられ、数多くの五輪代表選手を輩出した名門だ。
しかし、彼女は入団からわずか1カ月で退団。その理由について本人は「身長の低さ(167センチ)を理由にセッター転向を命じられたんです。でも、ずっとアタッカー一本でやってきたし、実業団だからといって受け入れることはできなかった」と語っていた。
ただし、「五輪や国際大会ではテレビの前で日本代表をよく応援してました」とも話しており、歌手になってからもバレーに対する“熱”は失われていなかった。
じつは、葛城さんのようにバレーボールの実業団選手を経て芸能界入りした有名人は少なくない。日本たばこ(現JTマーヴェラス)でプレーしていた元女優・モデルの江角マキコ、NECレッドロケッツ時代の04〜05年シーズンにVリーグ新人賞を受賞したモデルの河村めぐみもそうだ。
「特に女子バレー出身者はスタイルの良さを生かしてモデルとして活動したり、大林素子のように代表のスター選手としての知名度を生かしてタレントに転向する人もいます。でも、葛城さんが選んだのは、バレー選手のキャリアが一切役に立たない歌手。ブレイクまで10年以上の下積みを経験しましたが、ボヘミアン以外にも複数のヒット曲をリリース。また、面倒見のいい性格で後輩の女性シンガーたちからも慕われていました」(スポーツ紙芸能担当)
病魔に侵されながらも亡くなる10日前までステージで熱唱していた葛城さん。実業団のコートでは手放したエースの座を、ライブのステージでしっかりものにした逆転の生涯だった。
(トシタカマサ)