その後、99年より13年続いた石原時代を経て、都政は「混迷の時代」を迎える。わずか4年の間に3度の都知事選という異例の事態となったのだ。
まず東日本大震災の翌年である12年。日本を元気にするためと国政に転出した石原氏が後継者に指名したことで、史上空前の433万票を獲得したのが、猪瀬直樹氏だった。だが、澤氏は猪瀬知事には厳しい評価を下す。
「コンプレックスが強く、優秀な都庁職員に足腰を揉ませるなど下僕のように使っていた。副知事時代に、大相撲千秋楽に都知事杯を手渡すため国技館の土俵に上がったが、その際、背が高く見えるシークレットスリッパをわざわざ職員に購入させていたことも。五輪招致は本気で取り組み、プレゼンテーションを英語で行うためにネイティブ教師を呼んで熱心にトレーニング。しかし、招致が決定した瞬間に歓喜する猪瀬知事の映像は不思議と見ない」
むしろ記憶に残るのは、徳洲会から献金を受けた5000万円をカバンに詰め込む百条委員会でのオロオロした光景だろう。
「猪瀬知事はカバンに札束を詰める以外、何をしたのか記憶にない。同じ作家でも発想は石原には到底及ばなかった」(小林氏)
続いて誕生したのが、「朝ナマ」でブレイクし、国際政治学者の大看板に都民が期待を寄せたのが舛添要一都知事だった。
「印象で残っているのはドケチそのものという性格。職員との打ち上げはファミレスで代金は割り勘。功労者へのご褒美に差し出したのがマクドナルドのクーポン券というセコさ。特に食べ物への執着心が強く、東京都が開発したブランド豚『TOKYO X』の試食会では、『これはうまい』と舌鼓を打つや自宅に持ち帰ってしまった。用意した職員は一口も食べることはなかった。少なくともこの人の下で働きたいと思える知事ではなかった」(澤氏)
その後、公金の私的流用などが次々と明らかとなり、あっさり辞任。代わって初の女帝・小池百合子都知事が誕生した。小林氏が採点する。
「任期中で判断が難しいが、国政では爪弾きにされたものの、都政の組織の中ではやりたいことをはっきり言うなどリーダーシップを発揮している。ただ、コロナの盛んな頃よりも歯切れが悪くなってきたのが気になる」
とはいえ、コロナ対策の成果を選挙活動でアピールし、すでに2期目に突入している。
「今年3月、区市に相談することなく高校生までの医療費無償政策を打ち出した。さらには、新築住宅への太陽光パネル設置の義務化を年度内に目指すと言い出したが、制度設計が未熟であまりに時期尚早です。早くも地震が来た場合はどうする? 中国産のパネルを使う? など、批判の声が上がっています。小池知事が自らの手柄をあげることを焦っているとしか思えない」(澤氏)
パフォーマンス先行で空手形連発の小池都政は、いよいよ真価が問われる。
*「週刊アサヒ芸能」7月7日号より