松井秀喜「WBCで日本球界復帰」の裏交渉(1)サプライズ演出に大物が暗躍

 批判渦巻く東京五輪開会式で、唯一の見せ場は御年85歳のミスターが聖火ランナーとして登場した場面。大いに祝福ムードを盛り上げたが、寄り添うように最愛の弟子が伴走していた。この奇跡の2ショット実現の裏では、帰国が難しいと言われていた元スラッガーの日本球界復帰プランが着々と進んでいたのだ。

 スポーツジャーナリストの吉見健明氏が、涙ぐみながら賛辞の声を送る。

「長嶋さんの聖火ランナーは長年の悲願。それが実現したのを見た瞬間、胸が熱くなりました。96年のアトランタ五輪で、パーキンソン病に侵され震える手で聖火台に立ったボクシング元ヘビー級王者のモハメド・アリ氏の記憶が呼び起こされる演出で、心なしか世の中の五輪開催反対派の声も小さくなった気がします。今回の聖火ランナーをモチベーションに、苦しいリハビリ生活を送っていたのでしょう。長嶋さんほど五輪に思い入れのある人はいませんからね」

 東京五輪の開会式で最大のサプライズだった。無観客の国立競技場のトラックに現れたのは、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(85)その人。傍らには、「ON時代」を築いたソフトバンクの王貞治球団会長(81)。そしてミスターを抱えるように温かく伴走するのは、松井秀喜ヤンキースGM特別アドバイザー(47)だった。

 およそ2分間と短い時間だったものの、次に控える医療従事者のランナーに聖火を届けるや表情は一変。五輪仕様の赤ブチメガネから〝ミスタースマイル〟を覗かせてペコリと一礼すると、スタンド中の拍手を浴びながら、静かに退場したのだった。

 今回の東京五輪でのサプライズ演出は、水面下で秘かに進められてきた。JOC関係者が明かす。

「当初は、ONによる聖火ランナー案が既定路線として進んできました。ところが開会式を巡って、演出案が二転三転した経緯がある。結果的に、予算不足に陥ったオリンピック委員会が、苦肉の策として、開会式そのものを縮小する代わりに、聖火ランナーでのサプライズ枠を用意して、開会式に華を添えようと考えたのです。その結果が、最終ランナーの大坂なおみの登場であり、松井氏の伴走プランだった」

 今年に入って急遽、松井氏に白羽の矢が立ったが、当初、スケジュールを理由に松井サイドは辞退の意向を示した。ところが大物たちによる説得で外堀を埋められた上で、参加を決断したという。巨人担当記者が声を潜めて語る。

「この人選には最終的に、松井と公私ともに交遊のある元組織委員会長の森喜朗氏のパイプが大きい。さらには古巣である読売グループ総帥の渡邉恒雄氏も賛同。決定打となったのは、松井の男気です。『長嶋さんには、どうしてもサポート役が必要』と言われて、松井が引き受けないわけがなかった。JOCもさることながら、松井が距離を保ってきた読売グループ内では『これで巨人復帰の目が出てきた』と、気の早い意見すら飛び出しています」

 松井氏は現在、妻子とともにニューヨークで生活。将来的にはヤンキースのコーチや監督就任も視野に、アメリカに骨を埋める覚悟だけに、日本球界復帰の意志はないとみられている。しかも巨人とは「つかず離れず」で、恒例の春季キャンプで臨時コーチを依頼される以外は没交渉の状態が続いていた。そこに旧知の球団スタッフA氏が参入。両者の仲を取り持ったというのだ。

「巨人の山口寿一オーナーのブレーンを務めるA氏は、巨人からヤンキースに移籍する松井の要望で、専属の球団広報をしていた間柄。しかも、新聞記者時代に長嶋番をしていたことから、ミスターとのパイプも独自に持っていた。そこで、ミスターの聖火リレーにかける情熱をチラつかせて、松井を説得した。A氏は2人の聖火リレーを実務レベルで把握するために、野球・ソフトボールの五輪スタッフに就任して抜かりなしの体制でした」(球界関係者)

 いわば、今回の聖火ランナーは「松井氏と読売グループの蜜月ぶり」を誇示する大舞台となったのだ。

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