それだけではない。今回の「松井・読売ホットライン」構築で狙うのは、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での日本球界復帰。
その舞台裏を前出・球界関係者が説き明かす。
「WBCは本来、今年の3月に開催予定でしたが、コロナ禍もあり、現在も開催スケジュールは未定ながら23年開催の公算が大きい。しかし今回の五輪後には侍ジャパン・稲葉篤紀監督(48)の勇退は既定路線。後任候補として元広島・野村謙二郎(54)や元巨人・高橋由伸(46)の名前が挙がるが、正直いうと、地味な人選で盛り上がりに欠ける。そこで松井が国際舞台に登場すれば、大きな話題になるとみているのです。当然、日本への帰国意思のない松井に対して、監督就任はハードルが高い。そこでウルトラCとして、監督ではなく『特別アドバイザー』のような役職で、合宿や試合当日だけの拘束に絞れば、受諾してくれるのでは、という案も浮上している。これまでこうしたオファー自体にまったく興味を示さなかったのですが、五輪への参加で状況はかなり変わったと、読売サイドは分析しています」
しかも松井氏にとって恩師であるミスターが、侍ジャパンの監督就任を熱望していたのは、周知の事実。04年3月にミスターが病で伏せるまで、アテネ五輪では陣頭指揮を執る予定だっただけに、その願いを松井氏に託すとなれば、無下に断ることもできまい。こんなシナリオまで考えられているというのだ。
さらに一時は体調不良が囁かれていたミスターも、ここにきて健康状態が回復。その裏には過酷なリハビリにも耐える「野球魂」があるという。
「病に伏した当時は、侍ジャパンのユニフォームを着てグラウンドに立つことを目標に、雨が降ろうが台風が来ようが、過酷なリハビリを休むことはありませんでした。専属の理学療法士、広報担当者らと、自宅近くの多摩川公園のグラウンドで、50メートルの距離を10往復、さらに公園下から自宅まで続く約1キロの勾配のキツイ坂道を散歩して帰るのが日課でした。時には、港区の国立博物館付属自然教育園に遠征することも。開園前の朝7時40分から約30分、普段よりも負荷のかかるトレーニングをしていました」(スポーツジャーナリスト・吉見健明氏)
トレーナーに右上半身を抱えてもらい、麻痺の残る右足を大きく蹴り上げて、約30メートルをダッシュ。そのあとにバットを手にして、30回の素振りで仕上げる。リハビリの域を超えるトレーニングで、右半身の麻痺は順調に回復していたが、18年の夏に容体は急変する。前出の球界関係者が明かすには、
「胆石のために半年近く入院したんです。冬には退院しましたが、外出してのトレーニングはできなくなった。それでも月曜日〜木曜日に専属の介護士を自宅に呼んで、朝4時から8時までみっちりリハビリを続けてきたようです。この頃から、打診を受けていた東京五輪の聖火ランナーを目標に定めたといいます」
ミスターの夢舞台の続きは、侍ジャパンでの師弟コンビの復活だろうか。
*「週刊アサヒ芸能」8月12・19日号より