尾崎豊「没後30年目の新証言」(1)尾崎が愛したカレーの誕生

 極上のメロディーセンスと、予測不能なライブパフォーマンスを見せた不世出のシンガーソングライター・尾崎豊。92年の突然の死から没後30年目となるが、その楽曲は今なお、世代を問わずスタンダードに君臨する。あまりにも短く、されど誰よりも激烈だった尾崎の生涯を、貴重な証言で振り返る。

 5月8日、東京・新大久保にある「居酒屋カンちゃん」は多くの客でごった返していた。元プロレスラーのキラー・カンが経営する居酒屋であり、各紙で「5月22日に閉店」と報じられたため、別れを惜しむ地元の常連やプロレスファンが詰めかけたのである。

 さらに、そこに交じっていたのは、92年4月25日に26歳の若さで世を去った尾崎豊のファンたちだった。なぜ「闘うモンゴリアン」のギミックで海外でも活躍したカンの店に、尾崎ファンが「聖地」として巡礼するのか─。

 忙しい合間を縫って、カン自身が答えた。

「もともとは89年に西武新宿線の中井駅近くにカラオケスナックとしてオープンしたんだよ。そこに外車のディーラーの人に『こっち、尾崎豊さん。ロック界のすごい人なんだよ』と紹介されたけど、俺は日本にあんまりいなかったし、知らなかったんだよ」

 尾崎とスナックは場違いに見えるが、アットホームな雰囲気が気に入って、多い時は月に2度ほど訪れたという。ある日、1人で早くにやって来た尾崎はこんなリクエストをする。

「何かお腹にたまるものをと言われて『ウチは居酒屋じゃないからなあ。あ、でも女の子のまかないに作ってるカレーだったら』と出したら、尾崎さんがうまいうまいと言ってくれて」

 以来、店舗が移っても30年以上、「尾崎の愛したカレー」は看板メニューとなった。

 尾崎は店の空気もそうだが、カンを尊敬していた。尾崎も178センチと長身だが、カンはプロレス界でも大きい部類で195センチもあり、とても頼もしく見えた。カンが「尾崎さんはすごいよ」と言うと、すかさず「カンさんは世界で活躍されたんだから」と立ててくれる。

「尾崎さんと親しくなって、俺も『I LOVE YOU』が入っているカセットテープを買いに行ったよ。彼は酒が好きというより、飲んでいる雰囲気が好きだったんだろうな。次の日に仕事がない時なんかは、このまま一緒に飲みましょうよって言うんだ」

 尾崎が亡くなる1週間前にも店で陽気に飲んでいた。突然の訃報を共通の知人から聞かされたカンは「ふざけたことを言わないで」と動揺を隠せずにいた。

 尾崎と一緒に撮った写真は、店が閉店する日まで飾られてあった。

 尾崎は83年12月1日、シングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」でデビューした。当初こそ売り上げもパッとしなかったが、デビューの前に尾崎は、なんとも大胆な行動に出ている。語るのは、女流ロックシンガーの草分けである白井貴子だ。

 白井は83年10月から「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の火曜2部パーソナリティーとなる。構成作家を頼らず、また選曲も自身で担当していた白井は、生放送の前にレコード室にこもっていた。そこへ見ず知らずの若者が乱入してくる。

「白井貴子に会いたいんだけど」

 その瞬間、白井は我を忘れて逆上したと振り返る。

「何でも自分の思い通りになると思うなよ!」

 間もなく、同じCBS・ソニーからデビューするという後輩に声を荒らげた。

(石田伸也)

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