千葉ロッテ・澤村拓一投手(32)が海外FA権を行使することを決断した。会見で澤村は「9月7日にトレードされて、まだ2〜3か月しかたってないのに…」と複雑な思いも吐露していたが、メジャースカウトの高い評価も耳にしている。渡米への決意はかたいと見ていいだろう。
そこで思い出されるのが、中央大学時代の“にが〜い経験”。沢村はセンパイの米球界挑戦とその失敗を目の当たりにしていた。
「代理人がジョン・ボッグス氏に決まりました。同氏は2014年オフ、イチローがヤンキースとの契約を終えたときにその代理人を務めました。それまでにも1億ドル以上の大型契約をまとめあげていて、代理人の世界では長いキャリアで知られています」(米国人ライター)
大きなエージェント会社や、多角経営を売りにするスポーツマネジメント会社に所属する代理人ではなく、大ベテランに身の振り方を委ねたところにも「失敗したくない」の思いが秘められているようだ。そこには大学時代の“トラウマ”が影響しているという。
中央大学野球部が所属する東都リーグに詳しいジャーナリストがこう言う。
「1学年先輩に中村尚史という有望なピッチャーがいました。ところが澤村が2年生から存在感を示す一方で、中村は出番を減らしていきました。とはいえ、NPBのドラフト候補にも挙がる逸材。球速は150キロが出るか出ないかで、変化球に活路を見出していました」
澤村が4年生でドラフト候補だった2010年のこと。中央大学を卒業した中村尚史投手の姿は日本球界にはなく、インディアンズとマイナー契約を交わし、米国で奮闘していた。当時、澤村が「メジャー志望、国内なら巨人」と口にしていたのはその影響だ。
その後、澤村が巨人をユニフォームに袖を通し、オープン戦を戦っていた頃のことだ。マイナー契約で海を渡った中村は突然の解雇を通達された。理由は「外国人の育成にはカネが掛かるから」というものだった。中央大学・高橋善正監督(当時)も教え子が受けた理不尽さに憤怒したが、米国は契約社会でもある。契約書にサインしてしまった以上、選手保有権に口を挟めなかった。「もっと詳細に調べておけば…」と、関係者全員が悔やんだそうだ。
「澤村も一方的な米球界のやり方に驚いていました」(前出・ジャーナリスト)
実力以外の理由で、解雇の憂き目に合うケースもある。米国で野球に専念するには、敏腕代理人の力が必要だ。ベテランの代理人に決めた理由もこのへんにありそうだ。澤村は年俸よりも、契約期間や出場機会にこだわるのではないか。そんな憶測が漏れ伝わってくる。
(スポーツライター・飯山満)