「チバニアン」認定までの知られざる苦難の道のり

 1月17日、千葉県市原市の約77万年前の地層・千葉セクションが「チバニアン(千葉の時代)」として地質学上の時代名として正式に認定されたのはニュースになった通り。

 なにしろ地球のN極とS極が逆転して今の地磁気に変わった痕跡が窺える地層ということで、いずれにせよ世界的に千葉の名前がとどろくことになったわけだ。そこで最初の週末である18、19日の土日には普段の10倍以上の見学者が訪れ、早くもチバニアン・フィーバーに沸いている。

 千葉の名前が聞かれれば落ち着いてはいられないのが、“永遠のライバル”埼玉。ここ近年は映画『翔んで埼玉』がヒットしたり、テレビアニメの『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない(あの花)』などの有名アニメの聖地巡礼の地が多くあって人が詰めかけるなど、クール・ジャパンのコンテンツ絡みで明るい話題が多かったが、今回のチバニアン認定でネットでは「ついに千葉が…」「泥沼の戦いについに終止符が打たれた」と書き込まれるなど、だいぶ千葉が盛り返したようだ。

 だがチバニアン決定には実は紆余曲折、苦難の歴史があった。

「チバニアンはもともと1920年に京都帝国大学(当時)の教授が発見、それから長いこと調査・研究が行われ、重要性のアピールや、今回の決定に至る認定申請の動きがありました。ところがある時から学会内で対立が生じ、今回、申請にあたった研究チームのデータにねつ造があると訴える動きがあったんです。さらにはねつ造を訴える側が現地の土地の権利をおさえてしまい、申請ができないという事態にまで陥りました。ところが地元の市川市は研究チームを支援、今回の認定までこぎつけたというわけです」(全国紙記者)

 チバニアンには、地球の歴史を物語るだけでなく、知られざる申請までの苦難の歴史もあったようだ。 

(猫間滋)

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