〝燃える闘魂〟アントニオ猪木がこの世を去ってから1年。6日に公開されたドキュメント映画「アントニオ猪木をさがして」が話題になっている。その翌7日、イスラム組織ハマスがイスラエルに攻撃を仕掛けたことでパレスチナと戦争状態に突入。終戦の糸口さえ見えないウクライナ情勢といい、世界はますます混迷を極めている。
そんな中、改めて評価されているのが政治家としてのアントニオ猪木の功績だ。参議院議員として89〜95年、13〜19年の2期12年務めているが、なかでも世界中を驚かせたのが湾岸危機の90年、クウェートに侵攻したイラクの人質となった日本人41人を解放させたことだ。政府の意向とは関係なく個人で動いたため、当時は国会内でも非難の声が上がったが、
「表立って言わないだけで有事における交渉能力など政治家・アントニオ猪木を認めている議員は与野党問わず多い」
と、語るのは現職国会議員だ。
似たようなケースは70年のよど号ハイジャック事件で自身が身代わりになることで人質になっていた乗客を解放させた運輸政務次官だった山村新治郎衆議院議員(当時)がある。02年には小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮から拉致被害者5人を連れて帰国したが、もちろん政府と外務省の入念な下準備があってのことだ。
だが、イラクの人質問題では政府間の交渉が難航する中、猪木は国の支援もなく、独自のルートで単身乗3回もイラクに乗り込んで人質解放に奔走している。
「中東での知名度の高さがあったとはいえ、粘り強く交渉を重ね、あのフセイン大統領(当時)を翻意させた。現在で例えるならガザ地区に乗り込み、ハマスから人質を解放するようなものです。亡くなった安倍元首相も猪木さんのことは認めており、今も元気だったらウクライナ情勢や中東問題で活躍した可能性は高い。特使が務まるだけの能力・実績は持っていたと思う」(現職国会議員)
あの人質救出劇は間違いなく日本の外交史に残る偉業のひとつ。実は政治家としても、もっと評価されるべき人物であった。