弘兼憲史×池上彰「オトナの人生相談」(1)実はご近所同士で顔見知りだった

 弘兼憲史氏の週刊アサヒ芸能人気連載が150回を突破。それを記念してジャーナリストの池上彰氏とのスペシャル対談が実現。実はお二人はお子さんが同級生だったこともあり旧知の仲だという。昔話に花を咲かせながら、仕事、コロナ禍での生き方、終活などなど悩み多き読者に賢人たちが名回答する!

─本日は人生の大先輩にお越しいただきまして、ありがとうございます。お二人に人生のアドバイスをしていただけましたら、嬉しい限りです。

弘兼 お久しぶりです。今日はお忙しい中、ご登場いただきましてありがとうございます。

池上 こちらこそ、お声をかけていただきましてありがとうございます。お会いするのは、私がNHKで「首都圏ニュース」のキャスターを担当していた時に、取材して以来ですね。かれこれ30年ぶりになるでしょうか。

弘兼 30年? そんなに経ちますか。実は池上さんとは、住んでいた地域が近くて、うちの娘と池上さんのご子息が、小学校の同級生で同じクラスだった、というご縁がありましたね。

池上 ほんとに偶然ですね。学校行事などで何度かご一緒しました。

弘兼 小学校の運動会では、二人して人垣の後ろで見ていたりして。

池上 アハハハ、そうでした、そうでした。

弘兼 二人とも前に出て「頑張れー」と声援を送るタイプではなく、後ろで所在なげにジッと見ているという、不思議な光景でした。

池上 あの頃は親も参加するような競技はありませんでしたからね。

弘兼 その娘も最近、2番目の子供を出産したんです。僕も孫が二人のおじいちゃんになりました。

池上 それはおめでとうございます。

─お二人とも東京・練馬区に住んでいらっしゃったとは。

弘兼 池上さんは長野の松本出身でしたね。いつ東京に出てこられたんですか。

池上 銀行員だった父の転勤で、3歳で東京の吉祥寺に移り住んで、5歳の時に父親が、練馬区が分譲した戸建てを買いました。あの頃の練馬の地価は安かったですから。周りは大根畑でした。

弘兼 練馬大根ですね。僕は早稲田大学に入学するために、山口から上京した後、就職して大阪へ。漫画家になって東京の板橋区に引っ越し、その後、練馬区に移りました。

池上 弘兼さんのお宅とは子供の小学校を挟んで反対側でしたが、散歩の途中に何度かご自宅の前を通りかかったこともあるんですよ。

弘兼 そうなんですか。あの頃は子供が小さかったのですが、とにかく仕事が忙しかった時期です。子供たちのことはほとんどかまってやれなくて、子育てはカミさんに任せきりでした。

池上 私もNHKの社会部記者時代は夜討ち朝駆けが当たり前。晩御飯を家族と食べたことがありませんでした。父親としては失格でしょうね。

弘兼 そもそも我々が、定時に帰宅できない仕事を選んだので、ある意味、仕方がないことですね。池上さんがNHKに入社しようと思ったきっかけは?

池上 小学校6年の時、立ち寄った近所の書店で、たまたま手に取った「続・地方記者」(朝日新聞社刊)を読んで、新聞記者になりたいと思いました。それまでも新聞を毎日のように隅から隅まで読んでいましたから。最終的にテレビ局を選んだのは、連合赤軍の「あさま山荘事件」がきっかけです。大学3年生の時、この事件を毎日朝から中継していて、みんな、テレビ画面に釘付けになっている。恐らく、NHKと民放両方の視聴率を足すと90%くらいあったはずです。それを見て、これからはテレビの時代が来るはずだ、と思ったんです。

弘兼 「あさま山荘事件」、よく覚えています。僕も、仕事そっちのけで見ていました。実は、僕も子供の頃、新聞記者になりたいと思ったんです。ちょうどNHKで「事件記者」というドラマ(1955〜1966年放送)をやっていて、ああ、これだと思い、新聞記者を目指して早稲田大学に入ったんです。

池上 たしかに「事件記者」を見て記者になった、というNHKの同期が何人かいました。当時は、ニュースといえば新聞以外になかったですからね。

弘兼 ただ、マスコミ試験問題集をやったら、これが難しくて、すぐあきらめました(笑)。早稲田の漫画研究会に入っていたこともあり、漫画の技術が生かせる仕事をと考え、企業の宣伝部に焦点を絞って、松下電器に入社しました。池上さんの場合は、初志貫徹だったというわけですね。

弘兼憲史(ひろかね・けんし)1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業。松下電器産業(現パナソニック)に勤務後、74年に「風薫る」で漫画家デビュー。84年に「人間交差点」で小学館漫画賞を受賞。91年「課長島耕作」で講談社漫画賞、講談社漫画賞特別賞、00年「黄昏流星群」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、03年日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年には紫綬褒章を受章。「男子の作法」(SBクリエイティブ)など著書多数。

池上彰(いけがみ・あきら)1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、73年にNHK入局。報道局社会部でさまざまな事件を担当。94年より11年間、「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。05年にNHKを退社、フリージャーナリストとして多方面で活躍。16年4月から名城大学教授、東京工業大学特命教授。愛知学院大学、立教大学、信州大学、関西学院大学、日本大学、順天堂大学、東京大学などでも講義する。「伝える力」シリーズ(PHP新書)、「私たちはどう働くべきか」(徳間書店)など著書多数。

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