トランプが仰々しくも「解放の日」と名付けた4月2日に発表した相互関税が、9日に発効した。相互関税のうち10%を上回る分については、とりあえず90日間は適用が停止されたものの、10%分、さらには鉄、アルミニウム、自動車に対する関税引き上げが実施されたことに変わりはない。石破総理との電話会談も、動き始めたトランプ機関車の暴走を止める効果はなかった。
相互関税の非は、以前にもこのコラムで指摘した。史上まれにみる暴挙、狂気の沙汰だ。なぜか?
第二次大戦を招いたブロック経済圏への反省を基に発足したガット、その後継の世界貿易機関(WTO)の最重要原則である無差別、就中、最も低い関税率をメンバーにあまねく適用する最恵国待遇の原則に真っ向から背馳するからだ。
のみならず、経済政策的にもまったく合理性がない。
トランプが執心する貿易赤字それ自体は「絶対悪」ではない。国ごとに産業構造が異なるのは当然で、比較優位を有する産業もあれば、劣位の産業もある。すべての国と貿易収支を均衡させることなど、土台無理だ。
トランプは、「製造業を米国に取り戻す」、「米国内で生産すれば関税はゼロだ」と喧伝する。今回の相殺関税で最も高い関税率を設定されたのがベトナムだ。しかし、ベトナムの工場で生産されているナイキのスニーカーを今さら作りたいアメリカ人がどれだけいるのか?サービス業の高賃金の職にこそ惹かれるのではないか?
経済学的には、貿易赤字は米国の投資が貯蓄を上回っているための必然であり、この経済構造を変えない限り赤字基調は変わらない。だが、ポピュリスト的熱情に憑りつかれたトランプは聞く耳を持たない。
では、日本はどう対応すべきか?
震源地がトランプである以上、交渉を「担当閣僚」に落としたところで解決する筈がない。石破総理がトランプ本人とディールする他ないのだ。
その際、第一に、関税引上げから日本を適用除外してくれと嘆願するだけでは駄目だ。これ程の暴挙を前にして「お目こぼし」を乞い願うのは主権国家として情けないだけでなく、交渉として拙劣だ。
第二に、日本企業による対米直接投資事案を枯れ木も山のごとく集めてトランプに売り込む手は安倍政権では有効だったが、それだけで今のトランプが満足するとも思えない。既に2月の日米首脳会談でカードを切ってしまったのも手痛い。
このように見てくれば、第三に、飴だけではなく鞭も必要な点が理解されるだろう。外交交渉の常道だ。
具体的には、まずはWTO提訴だ。トランプ自身は屁とも思わないだろうが、米国による措置のWTO違反性を国際社会に明らかにし、EU、カナダなどの同志国と足並みを揃えてプレッシャーをかける効果はあろう。何よりも「法の支配」を基本的価値として奉じてきた日本こそ、国際法に従った紛争の解決を率先して希求すべきことは論を俟たない。
加えて、日本としての「対抗措置」も用意しておくべきである。特に、第一次トランプ政権との間で締結された日米貿易協定では、米国による自動車関税引上げを抑えるため、TPPに入らない米国に対して、TPPメンバー並みの牛肉、豚肉その他の農産品の関税引下げを特別に供与してやった。米国がこの約束を反故にするなら、米国が渇望していた牛肉の関税引下げを取り消したら良かろう。
こうしたWTO提訴や対抗措置はただちに講じるよりも、「対米交渉で埒が明かなかった場合には講じざるを得ない」として、交渉の梃子として使ったら良いだろう。
第四に、世界貿易が収縮に向かわないよう、貿易自由化を一層進めることも日本の役目だ。この際、EUをTPPに迎え入れることを真剣に考えるべきだ。臍を曲げているアメリカはひとまず脇におき、世界の主要貿易国が高い水準の自由化を進めることこそ有意義だ。
さらに、米国世論に呼び掛けることも重要だ。既に経済界、議会、メディア、消費者の間には懸念の声が止まないのが実態だ。内政干渉にならないよう配意しつつ、パブリックディプロマシーを行っていくのは日本政府全体の腕の見せ所だ。
忘れてならないのは、上記のいずれも総理の強い指導力を必要とすることだ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)等がある。