「つば九郎」担当者死去 ヤクルトを支え続けた30年の功績

 ヤクルトが2月19日、球団マスコット「つば九郎」担当スタッフが永眠したと発表した。

 1994年のデビュー後、ラミレスの「ゲッツ」の芸で“共演”するとその人気がうなぎ登り。毒舌キャラや「空中くるりんぱ」「フリップ芸」、さらに毎年オフには大勢の報道陣を集める「契約更新」などもあって、12球団トップクラスの発信力があった。

「ヤクルトのグッズの売り上げで、長い間つば九郎がダントツ1位だった時代もありました。球団にとってはありがたい、文字通りのドル箱スター。ディナーショーを開いたこともある。貢献度は抜群でしたよ」(ヤクルト担当記者)

 今年31年目。ずっと1人の担当者が続け、ヤクルト担当記者なら全員、その素性を知っている。

「元々は神宮球場の警備などを担当する会社のアルバイトでした。その中でもビビらず、常に落ち着いている仕事ぶりが評価され抜擢となった。通称、畜生ペンギンの重さは全部で20キロ以上。真夏の試合では酸素ボンベが必需品の重労働。それでもファンのため、球団のために命を削り尽くしてきました」(同)

 2月1日からの沖縄・浦添キャンプには同行していたが、4日に帰京する際に空港で倒れたという。球団内のショックは計り知れず、今後のつば九郎の活動は未定。プロ野球を長きにわたり盛り上げた功労者に感謝したい。

(小田龍司)

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