「やられたら、やり返せば…」「甘いところに(投球が)行けば打たれる。甘いところにきかなきゃいいのよ!」
日本シリーズ第2戦も落とし、連敗スタートとなったセ・リーグの覇者・巨人。試合後、ソフトバンク打線の猛攻を止められず、原辰徳監督はまくし立てるようにそう口走っていたが、この一戦は単に「パ強セ弱」の傾向を示しているだけではなかった。20日のシリーズ第2戦を落としたことで、プロ野球の歴史が変わったのだ。
現在、日本シリーズの通算勝敗はパ・リーグチームの203勝202敗8分け。つまり、19日の第1戦にソフトバンクが勝ってパの勝率を5割とし、第2戦の連勝でついに“逆転”した。
1950年に日本シリーズが始まって以来、一時的に、あるいはシリーズ中の瞬間的にパ・リーグの勝数が上回ったことはある。しかし、巨人のV9の歴史に象徴されるように「セ・リーグ優勝」の時代が長く続いていた。
「2013年、星野仙一監督の率いる楽天が巨人に勝利してからは、6年連続でパ球団から日本一が誕生しています」(スポーツ紙記者)
80年代の西武黄金期、05年の交流戦導入以降はパ優勢が続いたこともあり、パ・リーグは日本シリーズの勝ち試合数をジリジリと積み上げてきた。
平成の30年でみれば、パ・リーグの92勝80敗3分。野村ID時代のヤクルト、第二期原政権などが健闘したものの、その“貯金”も完全に吐き出してしまった。02年原巨人が西武に4タテした年もあったが、05年、阪神が千葉ロッテに1勝もできずに終わった年もある。
12年の原巨人以降、セ・リーグから日本一が出ていない。原監督の怒りはチームの不甲斐なさだけではなく、歴史に汚名を残す屈辱もあったのかもしれない。
思えば、南海が阪神を4勝3敗で下し44勝44敗3分けと並んだのが64年。が、65年は巨人がいきなり3連勝、その後もシリーズ9連覇するなど、73年時点では、セ・リーグは最大23勝の圧倒的な差をつけていたのだ。
セ・リーグの歴史とプライドのためにも、原監督は何としても逆転日本一を手にしたいところだろう。
(スポーツライター・飯山満)