「㊗喜寿対談」弘兼憲史×北方謙三「不良人生論」!(3)実年齢よりマイナス10歳の心持ちで過ごす

弘兼 我々は昭和22年生まれです。令和の時代では、コンプライアンス、ハラスメントなどと、昭和の時代に通用していたことが社会問題になるようになりました。

北方 だいぶ肩身が狭くなりました(笑)。

弘兼 最近の若者に対して、モノ申すことはありますか。

北方 スマホには少しイラッときます。編集者と話している時も、わからないことがあると、すぐにスマホに頼る。だから、僕と話す時はスマホで調べるのは禁止。「思い出せ、そんなことで頭に入るわけはないだろう」と言っています。

弘兼 私もスマホにはイラッとします。例えば、歩きスマホ、自転車でスマホ、人が話している時にもスマホをいじっている人がいるじゃないですか。私が大学で授業をする時も、ずっと下を向いている学生は、スマホでゲームをしていたりします。

北方 そう言えば、デヴィッド・リンチの映画「ストレイト・ストーリー」(99年)というロードムービーを見た時に、73歳の頑固な老人の主人公がすごくいいことを言っていました。旅で出会った若い子に「歳をとっていいことはあるか?」と聞かれた主人公が「君らみたいな若い人に親切にしてもらえること」と答え「それじゃあ悪いことは?」と聞かれて、「若い頃できたことを忘れられない」と言っていました。それが僕には堪えた。だから、若者たちには「今色々とできているかもしれないけど、やがて、できなくなることがあるんだぞ」と言いたいです。

弘兼 すごくわかります。年齢を聞かれて、77歳って答えると、自分でも「そうか、そんな歳になったんだ。結構な老人だな」と思います。

北方 だから、僕は自分では67歳だと思うようにしています(笑)。実年齢よりマイナス10歳くらいの心持ちで過ごしていた方が、色々な面で若くいられる気がします。

弘兼 その考え方はいいですね。仕事の方はいかがですか? 今も精力的に作品を発表されています。

北方 2年ほど前に、原稿用紙8500枚の大長編「チンギス紀」(集英社)を書き終えました。それで終わりだと自分でも思っていました。そのあと、短編集「黄昏のために」(文藝春秋)を出しました。そしたら、もうちょっといけるかなと欲が出てしまい、また書き始めてしまった。あと5~6年はやめられないですね。

弘兼 次の作品も歴史ものですか?

北方 そうです。8000枚くらいにはなると思います。私は仕事において、読者を楽しませたいという気持ちはもちろんありますが、今は生きるために「俺にはまだ書く能力がこんなに残っているんだ」と実感するために書いています。

弘兼 北方先生のファンはたくさんいるので、結果オーライ。皆さん楽しみにしていると思いますよ。次は傘寿(80歳)対談ができるよう、お互い元気でいましょう!

北方 ぜひ呼んでください。楽しみにしてます。

北方謙三(きたかた・けんぞう)1947年、佐賀県生まれ。中央大学法学部卒。81年、「弔鐘はるかなり」でデビュー。91年「破軍の星」で柴田錬三郎賞、05年、「水滸伝」全19巻で司馬遼太郎賞、11年、「楊令伝」全15巻で毎日出版文化賞を受賞するなど数多くの賞を受賞。13年、紫綬褒章受章。16年、「大水滸伝」シリーズ全51巻で菊池寛賞を受賞。20年、旭日小綬章を受章。24年「チンギス紀」(全17巻)で毎日芸術賞を受賞。

弘兼憲史(ひろかね・けんし)1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部。松下電器産業(現パナソニック)に勤務後、74年に「風薫る」で漫画家デビュー。84年に「人間交差点」で小学館漫画賞を受賞。91年「課長島耕作」で講談社漫画賞、00年「黄昏流星群」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、03年日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年には紫綬褒章を受章。「弘兼流60歳からの手ぶら人生」など著書多数。

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