「人生100年時代」のフレーズも、今ではすっかり聞き慣れた。自身の後半生の計画を立てる人も珍しくはない。だが、本当に健康で長生きできるのか‥‥。そんな一抹の不安を抱える人にこそ読んでもらいたい。この91歳にして超過酷なアイアンマンレースにチャレンジし続ける男の「人生100年時代」
「6月にオーストラリアのケアンズで開催されたレースに出場したんですが、バイクの120キロ地点あたりで制限時間をオーバー、足切りにあって‥‥。さすがに、寄る年波には勝てないのかもしれません」
稲田弘氏は自嘲気味に話し始めたが、眼には精気が満ちあふれ、まだまだ諦めていないようだった─。
そう、彼こそがアイアンマンレース世界選手権に85歳で出場し、最高齢完走の世界記録を持つ鉄人である。アイアンマンレースとは、トライアスロンの中で最も過酷とされる競技。水泳3.8キロ、自転車180.2キロ、マラソン42.2キロを連続でこなす。若者でも怖気づく距離だが、稲田氏は91歳になった今年、みずからの記録更新を狙って、世界選手権の予選に出場したのだ。ところが、冒頭のようにタイムオーバーで失格を告げられてしまった。
「年齢が年齢だけにバイクのスピードが課題でした。最後に出た18年の世界選手権では平均時速28キロだったのが、今回の予選では時速21〜22キロまで落ちてしまった。アップダウンの多いコースで、日本と違ってガードレールがない。急カーブを曲がりきれずに、コースアウトしたまま崖から落ちてしまう危険があったんです。下り坂で飛ばすわけにはいかなかった」
冷静に敗因を分析してみせるが、レース当日はよほど悔しかったのか、失格後もペダルを漕ぎ続け、自転車からマラソンへと切り替わる地点まで辿り着くと、走りたい衝動を抑えきれなくなり、
「距離にして15キロほど走っていました。せっかくケアンズまで来たんだしと思って(笑)。でも、意外とまだ余力があって、バイクでゴールできれば、ランも完走できていたんじゃないかなと思っています」
何とも破格の体力である。さぞや若い頃からスポーツで鳴らしたのだろうと思いきや、その半生はアスリートどころか運動とも無縁の一介のサラリーマンとして過ごしていたというから驚きだ。
「NHKで記者として働いていました。とにかく忙しくて、ほとんど運動をする暇はありませんでした。大学時代に所属した山岳部のなごりで、せいぜい山登りをしたぐらい。とはいえ、全国を転勤してまわったので、休みの日にあちこちの山に行きましたけどね」
中高時代も体操部や野球部、ボクシング部などに入るものの、本人いわく「どれも才能に恵まれず」、長続きはしなかったという。
そんな稲田氏に転機が訪れるのは、今から30年前の還暦を迎えた時だった。
「65歳まで会社に残る選択肢もありましたが、妻が難病になってしまい、介護のために60歳で定年退職しました。妻を介護するには、まず自分が健康でいなくてはいけないでしょう。そんなことを考えていたら、近所にスポーツジムがオープンしたんですよ。まるで僕の定年に合わせるように(笑)。退職して3日目には入会して、プールに通うようになりました」
(つづく)