91歳の鉄人アスリート「生涯ゴン攻め」を大いに語る(3)妻を亡くし「もうトライアスロンしかない」

 初出場は千葉の幕張で開催された大会だった。スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロのレースだった。

「買ったバイクに乗りたくて出ちゃったというのが本当のところです(笑)。途中、バイクで転倒しながらも、何とかゴールできました。しかも、一応ビリじゃありません」

 この結果を最も喜んでくれたのが最愛のパートナーだった。

「妻にはトライアスロンをしていることは秘密にしていました。ちょうどロードバイクを購入した時期と容体が悪化して入院したのが重なって言いそびれてしまって‥‥。怒られるのを承知で、完走できたことを報告すると『何かやっているとは思っていましたよ。おめでとう!』と言ってくれた。それがうれしくてね。トライアスロンに没頭できたのも、妻の『私が運動できないから頑張って』という言葉のおかげかもしれません」

 しかし、この初レースから程なく、稲田氏の最大の理解者は旅立ってしまう。あまりのショックで約3カ月間は〝抜け殻〟のような日々を送ったという。

「息子によると、ワケのわからないうわごとばかりを口にしていたようです。それでも、妻も応援してくれていたし、仕事も介護もしていない僕には、もうトライアスロンしかないと思い直して練習を再開させたんです」

 その後、74歳でアイアンマンレースの半分の距離(スイム1.9キロ、バイク90.1キロ、ラン21.1キロ)を完走できるようになり、新潟県佐渡の大会でも75歳と76歳で年齢別2連覇。そのままの勢いでアイアンマンレースに挑戦したのだ。

「ランの途中でタイムオーバーになってしまいました。完走すれば世界選手権に出られただけにめちゃくちゃ悔しかった。ゴール地点近くの岩場でうなだれていたら、大会役員が近づいてきて、『あなた、来年も出る気ある?』と聞かれたのよ。『もちろんです』と返答したら、『今みたいに我流で練習していたら次も同じ結果になる。ちゃんとしたコーチに習った方がいい』と千葉の稲毛にあるトライアスロンチームを紹介してもらったんです。聞けば、五輪選手を輩出しているようなすごいチームで‥‥」

 ガチのアスリートたちがシノギを削るようなところに、年寄りが入っていいものか─。逡巡すること3カ月、迷った末に門を叩いた。

「でも、入会自体はそんなにハードルが高くなかったんです(笑)。とはいえ、五輪候補生との練習で、得られるものは多かった。バイクの練習では、一緒にスタートしても、最初の交差点を過ぎると、僕だけ遅いから1人になる。それぐらい力の差があるんですが、ちゃんと仲間として受け入れてくれて、少しでも差が縮まれば『速くなったんじゃん!』と言われ、励みになる。こればかりは我流の練習では得られない刺激でした。おかげで、どんどんタイムも速くなりました」

 努力が実り、稲田氏は78歳でアイアンマンレース世界選手権に初出場、79歳で初完走を果たす。鉄人伝説はこうして始まったのだ。

(つづく)

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