西武ライオンズを「即戦力の草刈り場」にした本拠地「所沢」への固執

 プロ野球西武が松井稼頭央監督の休養を発表した。シーズン途中の“監督休養”は事実上の解任。球団にとって途中交代はこれが3例目となるが、45試合目での休養は過去最速という非常事態だ。後任となった渡辺久信ゼネラルマネジャー(GM)兼監督代行はGM就任時、「二度と現場(監督)には戻らない」と話していたが「球団が私にということだった」と、結局は11年ぶりの現場復帰となった。

 西武ではFA移籍で毎年のように主力クラスが抜ける。古くは1994年の石毛宏典、96年には清原和博、そして今年は不祥事があったにせよ山川穂高と、即戦力の草刈場となっている。国内ばかりでなく、2004年の松井前監督を皮切りに、13年の中島裕之、20年に秋山翔吾と、米国移籍した選手もいる。

「再び西武に帰ってくる選手はごくわずかで、いつかは生え抜き監督を据えたいとしていた渡辺さんが天塩にかけて育ててきたのが、松井前監督だったんです」(夕刊紙記者)

 なぜ、毎年のように主力が西武から出ていくのか。それは本拠地が埼玉県の所沢にあるからだ。

「主力になると多くは都内に自宅を構えますが、本拠地にもかかわらず移動はかなり大変です。また西武ドームは屋内球場とはいえ、屋根を後付けした壁のないドームのために春は寒くて夏は暑いという“最悪”なコンディションを強いられる。我々報道陣はナイターで延長戦にでもなると“終電が間に合うか”と、いつもドタバタするんです」(西武担当記者)

 パ・リーグでは集客に苦しんでいた日本ハムが2004年に本拠地を東京から札幌に移転したが、

「最初の構想では西武が札幌移転するはずでしたが、球場まで客を運ぶ西武線の入りを考え、所沢をどうしても外すわけにはいかなかった。そのため札幌を準フランチャイズにする考えだったのですが、札幌市側と話がまとまらず最終的に日本ハムが移転したんです」(前出・夕刊紙記者)

 それでも地元に根ざした経営を目指し、2008年からは「埼玉西武ライオンズ」にチーム名を改めたが、実力ある選手を集めながらFAで刈り取られ、生え抜き監督まで球団最速で休養となってしまった。名門復活には多くのハードルが待ち受ける。

(小田龍司)

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