衆院解散のタイミングを逃し続け、決断力のなさが浮き彫りになった岸田総理だが、歴代総理で鮮やかな解散劇を見せたのは「風見鶏」の中曽根康弘氏だった。
86年に会見で「衆議院解散は念頭にない」と述べていたにもかかわらず、伝家の宝刀を抜き、逆張りの〝死んだふり解散〟と呼ばれた衆参ダブル選挙を敢行したのである。
「国会議員に聞いても、誰もが解散はやらないと思っていました。野党も虚を突かれ、準備不足は明らか。結果、衆参同時に選挙をすると勢いにも乗れて、衆院で自民党は、公認候補だけで300議席を獲得して圧勝しました」(山村氏)
同じく衆参ダブル選挙で思い出されるのは、80年に起きた大平氏による「ハプニング解散」だろう。
党内がゴタゴタ揉めていたとはいえ、野党は不信任案が可決するとは思っておらず、与野党ともに予期せぬ事態に。参院の通常選挙も直近で予定されていたため、史上初の衆参同日選挙になった。が、その裏では、「角栄氏が暗躍していた」と、小林氏が明かす。
「大平氏は疲れもあって、内閣総辞職を選択しようとしていました。しかし、盟友の角栄氏が衆参ダブル選挙を進言。『弱気になってどうする。衆参同日なら野党支持者の投票行動が乱れ、自民党は間違いなく勝てる』と、鼓舞したのです」
選挙戦の最中に大平氏が病に倒れ、「弔い合戦」に燃える自民党の勝利に。
一方、反面教師にしたいのは、第92代の麻生太郎氏だ。安倍晋三氏、福田康夫氏(87)が続けて総理の座を投げ出し、08年9月に麻生政権が誕生。べらんめえ口調と漫画好きがウケて、自民党の人気は下り坂ながらも奮闘していた。
しかし、「未曾有」を読み間違えた〝みぞうゆう発言〟などで化けの皮がはがれ、求心力は低下。翌年8月の総選挙で歴史的大敗を喫し、政権交代となった。
「民主党副代表を務めた重鎮の石井一氏は、『麻生太郎に救われた。就任直後に解散していれば、負けてましたわ』と、漏らしていました」(政治部デスク)
有力とされる9月の総裁選まで、岸田総理が名宰相に化ける可能性はあるのか。万策尽きて手遅れかもしれないが、国民のためにも即刻退場という〝切り札〟も選択肢に入れてほしいのだが‥‥。
*週刊アサヒ芸能5月23・30日号掲載