「衆議院にも自民党の女性議員を」という公約を掲げ、1993年に初当選した野田聖子氏。以降、当選10回を数えるが、決してこれまでの道のりは平坦ではなかった。郵政選挙の際の小泉純一郎元総理との戦いや障害を持つ長男についてなど、天才テリーがじっくりと聞いた。
野田 全然関係ないんですけど、(今年の)8月頃、軽井沢に行かれました?
テリー 行きました、カミさんと一緒に。
野田 私、エスカレーターですれ違ったんですよ。テリーさんが降りてこられて、「あれ?」と思って。
テリー ほんとに? 声かけてくださいよ。
野田 でも、人違いかなと。
テリー 人違いじゃないです。軽井沢にはよくいらっしゃるんですか。
野田 いつも夏に数回、行くんです。
テリー そうなんだ。今度遊びに来てくださいよ。今日はよろしくお願いします。
野田 お願いします。
テリー この本(「野田聖子のつくりかた」)を読ませていただきました。
野田 ありがとうございます。こういう場で言うのも変ですけど、本来の私とは違う「強い」みたいなイメージを、メディアがいい意味でも悪い意味でも作ってくれて。でも私けっこう軟派だし、その辺にもどかしさを感じていて、自分が思っていることを正直に残したいと思ったんですよ。特に「岐阜の落下傘」と言われた私を、ずっと飽きずに育ててくれた、選挙で勝たせてくれた人たちに、「こんなふうに生きてきたんだよ」っていうのを共有できたらいいなと。
テリー よく政治家の方が出す戦略的な本ではないですよね。ほんとに正直に。
野田 でもね、テリーさんだけですよ、いろんな逆境の時に叩かない人は。私もけっこう一斉に叩かれることがあって、小泉(純一郎)さんと戦った時とか、うちの夫のヤクザ呼ばわりとか。アサ芸にも書かれましたし。
テリー あ、そうなんだ。
野田 だから今回の依頼も「昔ひどいこと書かれたから受けなくていい」って、うちの秘書は言ったんだけど、「どういう内容?」って聞いたら、「テリーさんと対談」って言うから、「テリーさんは私を悪く言ったことないよ」って。
テリー ああ、それで来てくれたんだ。僕は昔から野田さんのことをすごく普通のバランス感覚を持ってる人だなと思っているんですけど、今回これを読んで改めて再確認しました。
野田 うれしいです。
テリー 今まで何度かお会いしてますけど、いつもざっくばらんで。政治家としての鎧を着けてない。
野田 私、今、どんどん脱いでる感じです。
テリー 脱いでるんだ。でも、それって伝わらない人には伝わらないですよね。
野田 そうなんですよ。記者会見の時とかのテレビを見ても、全然リップサービスもしないし、「ほんとに不愛想だな」って自分でも思うんですけど。やっぱり失敗できないから、最小限の発言でとどめているので、失言したことないんです。
テリー もっと失言してもいいんじゃないですか?
野田 無駄なエネルギーを使いたくないんですよ。だから私、職人っぽいんです。女性議員ってパフォーマンス的なことを求められるけど、それができない女性議員もいるんですよ。
ゲスト:野田聖子(のだ・せいこ)1960年、福岡県生まれ。1987年、当時最年少の26歳で岐阜県議会議員に初当選。1993年、衆議院議員初当選。1996年に郵政政務次官、1998年に郵政大臣を務める。2005年、いわゆる郵政選挙の影響で、自民党を離党。2006年、復党。以降、消費者行政推進担当大臣、自由民主党総務会長、総務大臣、自由民主党幹事長代行、こども政策担当大臣などを歴任する。現在は自由民主党情報通信戦略調査会長。最新著書「野田聖子のつくりかた」(CCCメディアハウス)発売中。