あの時、岸田総理は「ウルトラセブン」を口ずさんだ(1)ウクライナ訪問の裏で起こっていたこと

 春分の日には「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」との意味付けがあるのだが、その当日である3月21日、岸田文雄総理(65)は、そんな穏やかさとは程遠い戦渦の地に赴いていた。かねて訪れたいと希求していた紛争地・ウクライナを電撃訪問したのだ。

 だが、総理には〝いつくしむ〟という気持ちがあったのかもしれない。その地から、こんな宣言を発したのだ。

「日本は、これからもウクライナの平和を取り戻すために、最大限の支援を行っていきたい」

 また、会談をしたゼレンスキー大統領に対しても、「日本の揺るぎない連帯を伝えたいと強く願っていた」と述べた。

 もっとも総理の胸中は、ようやく会えた喜びでいっぱいだったと見られる。というのも、ここに至るまで数々の困難があったためだ。そもそもウクライナ入りしたプロセス自体、スパイ映画さながらの展開だった。

 前日20日、外遊先のインド・ニューデリー地区のホテルから宵闇に紛れるかのようにして抜け出すや、バスで同地区内にあるパラム空軍基地に向かい、待機させていたチャーター機に搭乗。そして、深夜にポーランドのジェシュフ空港に到着すると、今度は車に乗り換えてウクライナ国境の都市・プシェミシルの駅へと移動し、ウクライナ行きの列車に乗り込んだのだった。それから約10時間後、ようやくウクライナの首都・キーウ(キエフ)に到着したのである。

 だが、むしろ困難は、これ以前の方が大きかったようだ。さらに、時間を巻き戻そう。

「岸田総理の頭の中には、国会の論戦など、まったくないようだ」

 こう総理周辺者が口にしたのは、2月も終わろうとしている頃のことだった。

「最近は、ウクライナのことを考えていることが多い。今年5月に開催予定のG7広島サミットで強いリーダーシップを発揮して、平和へのメッセージを前面に押し出し、核廃絶やロシアのウクライナ侵攻中止などを訴えるためには、ウクライナに対するプレゼンスが欠かせないと見てのことだ」(総理周辺者)

 その最中、「あの時、行っておくべきだった」と漏らすこともあったという。「あの時」とは、今年初め、G7の主要国を回った外遊時のことだ。総理周辺者がさらに続けた。

「1月に欧州入りした際、バイデン大統領ではないが、自分も電撃的にウクライナ入りして、戦場と化した地でゼレンスキー大統領を激励したかった、と今になって悔いている。G7の中でウクライナに行っていないのは日本だけであり、これでは明らかに存在感が薄く、格好が悪いと思っているためだ」

 欧州訪問時なら、NATOのバックアップが期待でき、受け入れるウクライナ側も態勢を整えやすかった。だが、日本単独での訪問となると、そうはいかない。こうして岸田総理は秋葉剛男国家安全保障局長(64)に怒りの矛先を向けた。総理周辺者が明かす。

「政権発足以来、最も頻繁に会っているほど近しい間柄だが、年頭のウクライナ入りに断固反対したのが秋葉氏だったからだ。『情勢に通じているはずの立場であるくせに、下手な留め立てをして! ほかの奴の方がマシだ』とさえ言っている」

 返す刀で外務省に無理難題を吹っかけるかのような発言もあったという。

「何としてもウクライナに行けるように調整してくれ。できなきゃ、外務省なんていらない」

 そう檄を飛ばしたというのだ。

時任兼作(ジャーナリスト)

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