若手の漫才が面白くない理由として、世代間ギャップも大きい。最新トレンドやゲーム、SNSネタでオッサンが笑えるわけがない。反対に半ドン、ディスコやDCブランドの話をされたら、若者はクスリともしないだろう。
漫才は時代と背中合わせの笑芸として発展してきた。近代漫才の祖と言われる横山エンタツ・花菱アチャコは90余年前に、背広姿という斬新なファッションで舞台に上がり、当時のスポーツシーンで最も注目を集めていた「早慶戦」を題材に大笑いを取った。
だが、今この漫才に爆笑できるかというと‥‥。漫才には、そういう残酷な一面が存在する。
その後も漫才は変化と進化を遂げてきた。2020年のM-1では、マヂカルラブリーがアクションメインの「つり革」を演じ、「これが漫才か?」と論争を巻き起こしている。
今年のM-1にも旬なネタが揃うだろう。だけど、漫才の神髄はネタだけでなく話術の巧みさにある。間と息の妙、緊張と緩和のサジ加減次第で爆笑に導くのが芸の力。これを発揮できる芸人の登場が待たれる。
それに、若手の漫才に付いていけないといって昭和世代が臆する必要はない。
私たちは現代漫才史、あるいは芸能史において、ひときわ輝く黄金時代を知っている。1980年に巻き起こった漫才ブームでは、横山やすし・西川きよしを筆頭にB&B、ツービート、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人、太平サブロー・シローらが大活躍した。
このブームから島田紳助やビートたけしらが飛び出し、明石家さんまを加えて1981年からの「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)へと昇華していく。
そして1988年にはダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子らによる「夢で逢えたら」(フジ系)が放送開始─。
まさにキラ星、笑芸の歴史を塗りかえた面々の、いちばんイキのよかった時代をリアルタイムで知っているわけだ。
後年、紳助がM-1を創設した最大の理由は、自ら名を連ねたブームの反動で漫才停滞期が訪れ、深刻な人材枯渇に至ってしまったからだった。
M-1で審査員を務める松本人志が後に続くコメディアンたちに及ぼした影響も絶大だ。歴代のM-1優勝者でダウンタウンからインスパイアされていない芸人を探すほうが難しい。
昭和世代は昨日や今日のお笑いファンとは年季が違う。若手芸人にイマイチ感を抱いてしまうのは、そういう〝歴史〟があるからこそ。
昭和世代は〝審笑眼〟に自信を持っていい。そもそもオッサンを笑わせることのできない芸人にM-1王者の資格などない─このくらいの気概で年末の漫才イベントを愉しもう。
増田晶文(ますだまさふみ)作家、昭和35年大阪府出身、同志社大学卒。芸人やプロダクションの取材を重ね、雑誌に寄稿したり「吉本興業の正体」「お笑い芸人就職読本」(ともに草思社)などを刊行。近年は文芸作品に力を注ぎ、来春に楠木正成が主人公の時代小説を発表予定。
*週刊アサヒ芸能12月22日号掲載