M-1審査員・山田邦子の破格の稼ぎ!月給がデパートの大袋で手渡された

「M-1グランプリ2022」の審査員に62歳の山田邦子が選出され、賛否両論が渦巻いた。67歳の上沼恵美子の後任として、史上2人目の女性審査員に大抜てき。全盛期には14本のレギュラー番組を抱え、NHK「好きなタレント調査」で1988年から95年まで8年連続で好感度ランキングのトップに立った女性芸人のパイオニア。昭和と平成のバラエティ界で天下を獲っただけに、M-1抜てきは当然といえよう。

 語り継がれる伝説は枚挙にいとまがないが、女性ピン芸人で初めて“億円プレイヤー”になっている。ベテラン芸能記者が振り返る。

「19歳でデビューして、のちに太田プロダクションに所属。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の横澤彪プロデューサーから、所属を勧められたからです。当時の太田プロは、ギャラが現金で手渡し。山田は最高月収のとき、デパートの大きな袋でもらったそうです。およそ1億円。『ひょうきん族』の共演者だった島田紳助の年収と同じだったそうです」

 数ある芸能プロダクションから太田プロを選んだ理由は、あこがれだったビートたけしが所属していたから。たけし人気が爆発すると、ガダルカナル・タカやダンカン、そのまんま東やラッシャー板前ほか大勢の若手芸人で結成された「たけし軍団」もアイドル的な人気を博した。山田は、たけしの弟子である十数人いた軍団全員に飯を食わせ、性的サービスのお店までおごった。

「一緒に都内最大のサービス店街の吉原まで行って、『遊んできなよ』とお金を握らせたのです。『私よりかわいい娘、指名しちゃダメよ』という芸人らしい言葉で送り出して、自身は車のなかで待機していたそうです」(前出・芸能記者)

 1日で数百万円を散財しても、痛くもかゆくもなかった時代。タレントのブランドショップが隆盛をきわめた89年には、東京・原宿の竹下通りにオリジナルブランド「KUNY」をオープン。冠バラエティ「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」(フジテレビ系)から誕生した挿入歌、KANの「愛は勝つ」は200万枚を超えるメガヒット。自身は、Winkのパロディで「やまだかつてないWink」を横山知枝と組み、CD「“T”intersection~あなたに戻れない~」をリリースすると、50万枚を超えるヒットとなった。

 そんなお笑い界の女王も90年代後半にさしかかるころには、番組が次々と終了。不貞報道やレポーターへの暴言などもあいまって、芸能界から干された。2019年には、39年間も所属した太田プロから独立。すでに芸人色は褪せていたように思われるが、実は浅草のお笑い演芸場「東洋館 浅草フランス座演芸場」の舞台には定期的に立っており、長尺のピンネタを披露し続けていた。

 M-1審査員という大役のオファーを受けた山田。12月18日のデビュー戦でつける採点は、M-1初出場芸人より注目されることになるかもしれない。

(北村ともこ)

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