M-1には「笑神籤(えみくじ)」という仕掛けが用意されている。
生放送中に出演順を1番目から、そのつど名札を引いて決めていくもので、2017年から導入された。
笑神籤により、中盤あたりまでのスリリングさが際立つようになった。
芸人はトップの出番を嫌う。客席が温まっていないために笑いが少ない上、審査員も全体のレベルがわからないから様子見となり、渋めの点数を付けがちだ。
過去のデータも、1番目の出番が不利なのを雄弁に物語っている。1番目で優勝できたのは、第1回大会の中川家だけ。2位になれたのは第5回の笑い飯のみだ(ファーストラウンドは3位)。
反対に優勝者は5、6番目あたりからが圧倒的に多くなってくる。ラストの演者になれば17回の大会中11回で最終決戦進出を果たしているのだから、芸人は実力だけでなく、出番順という運も味方に付けなければならない。
それでも「M-1はつまらない」というイチャモンが付くのは、やっぱり漫才そのものが笑えないからに他ならない。実のところ、過去に何度もM-1を取材した私でさえ、決勝出場者の半分くらいは「オモロないなァ」とタメ息をつくありさまだ。
しかし、そこにはいくつかの理由が潜んでいる。
ひとつ目は、M-1にキャリア15年以下(以前は10年以下)の芸人しか出場できないという規約があるからだ。登場するのは若手中心、中には芸歴数年という新人同然の芸人もいる。
漫才に限らず、およそ笑芸というのは一生をかけて完成させるもの。それなのに、まだくちばしの黄色い連中ばかりなのだから、芸が未熟なのは致し方あるまい。
M-1に完成された名人芸を期待してはいけない。むしろ、M-1をきっかけにどこまで芸を伸ばしていけるか、彼らの今後に注目するべきだ。
その意味でM-1は高校野球であり、大相撲の幕下上位か十両あたりだと認識しておいたほうがいい。
とはいえ、今年のM-1には、何と7261組ものプロ、アマ漫才師が挑戦している。今夏の全国高校野球選手権の予選が3549校で争われたのだから、M-1を見くびってはいけない。
底辺の広さはダイヤの原石が交じっている確率の高さに直結する。M-1の魅力はここにもある。
増田晶文(ますだまさふみ)作家、昭和35年大阪府出身、同志社大学卒。芸人やプロダクションの取材を重ね、雑誌に寄稿したり「吉本興業の正体」「お笑い芸人就職読本」(ともに草思社)などを刊行。近年は文芸作品に力を注ぎ、来春に楠木正成が主人公の時代小説を発表予定。