齋藤教授の著書には、そんな中高年男性、つまり「リア王症候群」とでもいうべきオヤジたちの行状の数々が紹介されている。その中からいくつかの具体例を解説してもらった。
「人の振り見て我が振り直せ」。中高年の悲劇「リア王症候群」になっていないか、胸に手を当ててチェックしてみよう(以下、齋藤教授談)。
オレは客だオヤジ
例えばレストランや飲食店などで、ウェイトレスさんなどに対して、横柄な態度で注文し、何かの手違いで注文と違うものが出てきた時、居丈高に文句を言ったり「客に対する態度がなってない」などと、店長やマネージャーを呼びつけて、「オレは客なんだ」、つまり自分のほうが偉いんだという上から目線でキレ、相手が言い返せないのをいいことに、延々と文句やお説教をしたりします。カスタマーハラスメント(カスハラ)とも呼ばれますが、「キレやすく」て「不機嫌」、「上から目線の尊大さ」など、まさにリア王症シン候ドロ群ームの典型例です。
への字口オヤジ/不機嫌オヤジ
中高年になると、顔の筋肉が衰えてきて口角が下がり、それに加えて口を「への字」に結んでいると、本人はごく普通にしているつもりでも、周囲からは不機嫌で怒っているように見えてしまいます。自分の顔を鏡に映してチェックしてみてください。気がつかないうちに、口がへの字の渋面になっていないか。誰かと会う時には、必ず意識して笑顔になるようにして、常に少し笑っているぐらいがいいのです。
昔語りオヤジ/武勇伝オヤジ
若い人に対して、昔の栄光を語るのはオヤジの典型で、「オレたちの若い頃は、上から厳しく育てられたもんだ」なんて話を延々とする人は、たいてい若い人に嫌われます。
会社も自身も、さらに言えば日本全体が元気で活力に満ちた時代を過ごしたことを自慢しても、今の若い世代には理解できません。会社の金でいい思いをしたことを妬まれるだけです。
どうしてもという時には、できるだけ手短に、15秒以内で済ませることです。短い時間で、自分の実績などをアピールするのは、むしろ有効な場合もあります。
根性論オヤジ
昭和の時代に人格形成をした今の中高年、オヤジたちのほとんどは、根性論、精神論が大好きな世代です。60年代から70年代にかけて、梶原一騎原作の『巨人の星』や『あしたのジョー』『柔道一直線』『タイガーマスク』などの「熱血スポ根マンガ」が全盛期の時代に青少年期を過ごしています。魔球や必殺技を習得するために、鬼のようなコーチや監督に血ヘドを吐くほどの特訓を受け、友情を育みながらライバルとの戦いに勝利するというのが共通したストーリーでした。
イジメにも近い特訓や練習は、今では絶対にNGですが、当時はそれが美しいもの、あるべき師弟関係、友情のあり方として語られ、そんな価値観の中で育った世代ですから、会社でも管理職になって後輩の指導をする時に、「根性を出せ」「気合いだ」などとついつい言ってしまうのではないでしょうか。しかし、太平洋戦争時代の連合艦隊司令長官だった山本五十六に、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」という名言がありますが、戦前の海軍にして、褒めてやらないと人は動かないと言っているのですから、根性論で叱咤しても、成果は上がらないし、人も育てられないと肝に銘じましょう。
セクハラ無頓着オヤジ/自惚れオヤジ/酔っ払いオヤジ
自分自身は、女性や若い人に好かれていると思い込んでいる、実にオメデタイオヤジと言うほかありません。自分だけはチョイワルオヤジ気取りで、オレのボディタッチを喜んでいるんだとか、モテていると自惚(うぬぼれ)ているわけです。しかし、部下などの女性たちは横暴なリア王を恐れているだけなのだと自覚しましょう。
いまさらですが、セクハラというのは性的な嫌がらせのことで、セクシャルハラスメントの略です。
会社の採用や昇進などの見返りに性的な関係を強要したり、酔いに任せて異性の体に触ったり、卑猥な言葉を投げつけたりして不快な思いをさせることだということは、すでに多くの人が認識しているはずなのですが、なかなかなくなるということがない。オレだけは違うと自惚れて誤解しているオヤジたちがいかに多いかということでしょうか。
齋藤孝(さいとう・たかし):1960(昭和35)年、静岡県生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒。『声に出して読みたい日本語』(草思社・毎日出版文化賞特別賞)がシリーズ260万部のベストセラーになり日本語ブームに火をつけた。著書の累計発行部数は1000万部を超える。