歴史浪漫「今さら聞けない大奥」【2】将軍の行為中に4人の女性が一晩中監視

 将軍の性事情もまた、世間の常識とはかけ離れたものであった。

 大奥女中の中で、将軍と一夜を共にできるのは、原則、御中臈(おちゅうろう)と呼ばれる女性だけに限られていた。御中臈の中から将軍の子供を授かった場合に、側室として認められ、世継ぎの男子を産めば、将軍の生母として絶大な権力を持つことになる。

 御中臈であっても将軍のお手付きにならない場合には、「お清の方」と言われ、将軍のお手付きの御中臈は、嫉妬まじりに「汚れた方」などと呼ばれた。

 とはいえ、将軍はその多くの女中たちの中から気ままに自由にチョイスして男女の営みをもてたわけではないと歴史家の安藤優一郎氏は言う。

「ドラマなどでは将軍の目にとまって将軍の寝所に呼び出すという場面があったりしますが、基本的にはそれはない。4〜5人いる実力者の御年寄(おとしより)の推薦があって初めて相手が決まる。将軍のお手付きになって懐妊すれば、御中臈だけでなく推薦した御年寄も出世することになります」

 さらに御中臈との交わりもまた、将軍の思いのままというわけではなかった。

 御伽坊主(おとぎぼうず)と呼ばれる女中に呼び出された御中臈は、秘部の洗浄を念入りに済ませたのち、将軍の寝所である御小座敷に入って、御年寄たちに刃物や危険物などを隠し持っていないかなど身体検査を受け、将軍を待つ。そして御小座敷の中には、将軍と性交渉相手の御中臈の床を挟んで、御伽坊主と添い寝役のお手付きの御中臈の床が両脇に敷かれ、将軍に背中を向けてはいるものの、一晩中監視されながらコトに及ばねばならなかった。襖を挟んだ隣室でも御年寄とお清の方の御中臈が寝ずの番をしていたという。つまり、4名の監視がシステム化されていたのだ。

「将軍に危害を加える恐れがないかとか、将軍に〝おねだり〟というか頼み事をする可能性もあるので、何があったかをチェックするということだったようですね。簡単に言えば2人っきりにさせないということで、将軍にプライバシーはなかったのです」(安藤氏)

 いったん大奥に上がった上級の女中たちは、原則的に城の外に一歩も出られない。そのストレスを解消するために、城内で行われる正月の儀式に始まり、七草粥やひな祭り、春には城内の桜を見る花見の宴、七夕など年中行事を楽しみ、無聊(ぶりょう)を慰めていた。上級の女中になると、狆(ちん・犬種)や猫などのペットを飼うことも許されていたという。

 奥女中たちの収入も、身分によってピンからキリまで存在した。歴史家の河合敦氏が解説する。

「『上臈御年寄(じょうろうおとしより)』という主に公家出身の女性が名目上の大奥の最高位ですが、実質的には『御年寄』というのが大奥のトップで、その下に将軍の世話係、側室候補としての『御中臈』がいました。最高位の御年寄クラスでは、現在の貨幣価値に換算すると2000万円から2500万円くらいの年収が保証され、30年以上勤めると老後の年金が貰えて、さらに町屋敷が与えられて、いわゆる貸家商売、今でいえばアパート経営などもできたようです。御中臈たちの大奥の暮らしは、将軍の目にとまるために、豪華な衣装を1日に何度も着替えたり、化粧もたびたび直すなど、華美で豪奢な暮らしぶりで、実に経費がかかるものでした。一説には幕府の予算の20%に達したようなこともあり、8代将軍・吉宗などは幕府財政の改革のために、美人の女中を集めて一気に大量リストラしたほど。つまり美人であれば大奥を出てもいい縁を見つけて結婚できるだろうからという理由で不美人の女中だけを残したのです」

 また、安藤氏によれば、上級の奥女中たちの収入は、正式の御手当以外にもさまざまな役得があったとも。

「大奥に将軍が入る時には、中奥と大奥をつなぐ御鈴廊下(おすずろうか)の鈴を鳴らして、御錠口(おじょうぐち)の女中が大奥の鍵を開けます。御錠口はいわば大奥の門番のような役割で、怪しい人物が入らないようにチェックする重要な役割でしたが、それだけに簪(かんざし)や化粧品などを納入する女の商人たちからの賄賂もあったりして、役職ごとにそうした賄賂や付け届けも奥女中たちの副収入になっていたようです。将軍の夜伽(よとぎ)をする御中臈になるには、御年寄の推薦がなければなりませんから、付け届けなども相当あったはずです」

 歴史タレントの堀口茉純さんはこう読み解く。

「女性の職業自体が少ない江戸時代にあって、大奥勤めは自分の持っている力や能力で出世できる数少ない職業のひとつだったと思います。奥女中になれば、行儀作法なども教えてもらえる上に、うまくすれば出世コースに乗ることもできる。江戸時代の女性にとっては、大奥は憧れの職業でした」

 河合氏が付け加える。

「御目見得以下の女性たちは、宿下がり、いわゆる里帰りはそんなに難しくなくて、何年か奉公して帰ってくると、箔(はく)がついて村の中でいい縁に恵まれて結婚できたという記録も残っています。むしろ市中にいるよりも貞操は守られるということだったと思いますね」

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「江戸500藩全解剖」(朝日新書)。

堀口茉純(ほりぐち・ますみ)歴史タレント。明治大学文学部卒業。NHKラジオ「DJ日本史」、YouTube「ほーりーとお江戸、いいね!」などに出演中。著書「江戸はスゴイ」(PHP)他。

安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマに執筆・講演活動を展開。近著に「大江戸の娯楽裏事情」「江戸の旅行の裏事情」(共に朝日新書)など。

*画像は8代将軍・徳川吉宗

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