甲子園準優勝・下関国際は“リアル”スクール・ウォーズだった(3)「給料を倍出します」も断り

 下関国際が夏の県大会で初めてベスト4に進出したのは11年、悲願の初優勝を果たしたのが17年のことだ。坂原監督を迎え入れた理事長は「ここまでくるのには苦労した」と涙を浮かべていたという。

「17年夏のエースで主将だった植野投手は現在、坂原監督の下でコーチを務めています。在学中、あまりの厳しさに練習中に脱走したことがありましたが、自宅に迎えに来た坂原監督に『今は苦しくても耐えなさい。いつか報われる』と説得され戻ったそうです。野球を通じて生徒を成長させようと奮闘し、荒廃した学校を強豪校にまで育て上げる姿は、まさに現代のリアル『スクール・ウォーズ』ですよ」(スポーツ紙デスク)

 甲子園初出場を決める前にも、同ドラマを彷彿させるエピソードがあった。結果を出し始めた坂原監督に、他県の甲子園常連校から監督として招聘する話が出たことがある。しかし、

「監督は即答で断ったんだとか。諦めきれない先方が『給料を倍出しますから』と食い下がったそうですが、『私のような人間を拾ってくれた学校を、甲子園に連れていくまで辞めるわけにはいきません』と首を縦に振らなかった。まるで山下真司演じる滝沢賢治監督が、実業団のラグビー部監督就任を断った放送回を想起させました」(スポーツ紙デスク)

 越境入学も増えた現在、学校の敷地内には野球部の寮が建ち、坂原監督も家族を自宅に残して、生徒と共同生活を送っている。まさに熱血教師を地で行く監督だ。何事にも妥協せず生徒とともに野球に邁進する姿勢が、今夏の左右のエース古賀と仲井ら、プロも注目するような選手を育て上げたことは間違いないだろう。「甲子園に出る!高校ガイド」(廣済堂出版刊)など高校野球の関連書籍も多いスポーツライター・手束仁氏が言う。

「正直に言うと、今夏はベスト8が出そろった時点で、『戦力的には8番目だな、大阪桐蔭はいいクジを引いた』と思っていました。しかしこの結果ですから、あっぱれというほかありません(苦笑)。下関国際のように、高校野球界で急浮上してくる新興の私立校チームには、坂原監督のような『俺が何とかしてやろう!』という熱い指導者が多いですね。また、例えば名門中の名門であるあの横浜高校も、かつては不良の吹き溜まりみたいな学校でしたが、野球で名前が知れたことで入学者も増え健全化につながりました。野球でしか輝けないような不良も更生させたという、それこそ『スクール・ウォーズ』そのまんまのケースだってそこら中にあります。高校野球はそういう球児の人間育成が非常に大きなテーマです。今回の下関国際の躍進で、刺激を受ける学校もきっと多いでしょうね」

 ついには花園で優勝した「川浜高校」のように、無名で弱小だった下関国際が深紅の大優勝旗を手にするまで、坂原監督の熱血指導はまだまだ続いていくはずだ。

*「週刊アサヒ芸能」9月22日号掲載

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