【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相(3)孫に託された「憲法改正」

 この日の午後二時過ぎには、池田自民党新総裁の祝賀レセプションが総理官邸中庭でおこなわれた。

 岸総理は池田新総裁を会場に迎えて握手。ビールジョッキを掲げて、おたがいに万歳を唱えあった。それがすむと、岸総理は用事のために官邸内に入った。

 午後二時二十分頃、そこへ自民党員の大会バッジをつけた白開襟シャツの小柄な壮士風の老人が、握手を求めるそぶりで横から近づいてきた。

 それに応じようとした瞬間、岸は、「オオッ」と声を上げ、後ずさりした。

 岸には警護の警官二人がついていたが、代議士といっしょに話しながら歩いてきた老人がすぐさま暴漢とは気づかなかった。

 老人がいきなり手に持った刃渡り十五、六センチの登山用ナイフで、岸の左太腿を二度、三度、まるでフェンシングのような構えで突き刺したのである。

 老人は逃げようとした。が、まわりにいた人に取り押さえられた。

 岸は、右手で犯人を指さし、何か叫ぼうとした。が、声が出ない。左手で押さえた左腿の傷口から、赤い血の滴が赤い絨毯の上にボタンと落ちる。みるみる鮮血が茶色い背広のズボンを伝い、足元にどす黒い血だまりをつくった。

 岸は、三、四人に担がれ、官邸の玄関に運び出された。岸は、白眼を剥き、口を開けて放心したようであったという。

 老人は池袋で薬屋を営む当時六十五歳の荒牧退助。

 犯行の動機は「国会乱入事件などの騒ぎは、岸総理の政治のやり方がいい加減なためで、政治家に反省をうながす意味で岸総理をだれかが襲撃するだろうと思っていた。しかしだれもやらないので、自分がやらねばだめだと決心した」というものであった。

 荒牧は十三日の朝にも刺すつもりで大手町のサンケイホールに行った。が、岸総理が姿を見せなかったので、未遂に終わっていた。

 捜査当局は荒牧の背後関係を徹底的に調べ上げ、自宅からある人物の名刺を押収した。

 その人物は大野伴睦に近い右翼の大物の系統だったが、捜査はそれ以上は進まなかった。

 荒牧の犯行の真因は、岸が大野に内閣への協力の代償として後継総裁に大野伴睦を推すことを約束した、いわゆる「密約」を反故にしたためといわれている。

『岸政権・一二四一日』の著者大日向一郎の調べによると、警戒厳しいレセプションに荒牧が出席できたのは、当時、大野の秘書で、のち科学技術庁長官となる中川一郎に招待状をもらっていたからという。

 なお、岸信介の秘書をつとめた久保ウメから筆者が聞いたところによると、岸は彼女に事件後、こう語ったという。

「荒牧は、さすがにプロだな。太腿は、ヘタに刺すと死に至る。が、あくまで命は取らないで脅しの意味で刺したのだから、深手にならないように刺している」

 岸の傷は、全治二週間であった。

 荒牧はその後懲役三年が確定するが、驚くことに、久保ウメによると、岸は荒牧の服役中、「家族が生活に困るだろう」と、荒牧の家族に生活費を出していたという。

 やはり、「昭和の妖怪」と言われた岸は常人とはちがう懐の深さも持ち、清濁併せ呑んだ傑物であった。

 岸は安保改定こそ成し遂げたが、「憲法改正」を実現することは出来なかった。

 その念願は、孫の安倍晋三に託され、安倍はその実現に命を懸け走り続けていたが、今回、凶弾に倒れ、果たせぬまま散ったのである‥‥。

作家・大下英治

〈文中敬称略〉

*「アサヒ芸能」8月4日号掲載

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