安保改定を一年後にひかえた昭和三十四年一月十六日の夜、日比谷の帝国ホテル新館「光琳の間」で、岸、大野伴睦、河野一郎、佐藤栄作は会談を持った。そこに河野の友人の大映社長の永田雅一、北海道炭礦汽船社長の萩原吉太郎、右翼の大立者の児玉誉士夫の三人がオブザーバーとして加わった。
岸・佐藤兄弟は、光琳の間の席で大野に頼んだ。
「岸内閣を救ってくれ。そうしたら、安保改定直後に退陣して、かならず大野さんに政権を渡す」
大野によると、佐藤までが手をついて頼んだという。
岸は、安保改定を実現させるため、大野と河野の抱きこみにかかったのである。
しかも、岸は口約束で信じられないならば、はっきり誓約書を書いておこうとまで言いはじめた。
その部屋には墨筆がないので、秘書を呼んで、筆、硯、墨に巻紙を取り寄せさせた。
まず岸みずからが筆を取り、後継者に大野君を頼むという文書をしたためた。しかも、大野の次は河野、河野の次は佐藤、という政権の順序まで約束したのである。
岸は、署名を終えると、念を押した。
「約束は守る。ただし約束が実現するためには、あなた方がわたしに全面的に協力することが前提である。これは、わたしとあなた方との約束である。もしもあなた方がこの約束をたがえたなら、この誓約書は、その瞬間に反故になるとご承知いただきたい」
出席者は、みな了承した。
「わかった」
この帝国ホテルの会合で、大野と河野の協力をとりつけた岸・佐藤兄弟は、ようやく危機を脱することができ、安保改定に突き進んでいった。
大野は、このときの申し合わせにしたがって、党内収拾に乗り出した。
岸は、安保改定を実現した昭和三十五年六月二十三日午前十時からひらかれた臨時閣議で発言した。
「人心一新、政局転換のため、総理を辞める決意をした」
臨時閣議での岸の辞意表明を機に、次期総裁問題が浮上した。
七月十四日、自民党は日比谷公会堂で党大会を開き、安保騒動の責任をとって退陣した岸総理の後継に、池田勇人が選ばれた。帝国ホテルの「光琳の間」で交わされた次の総理は大野に渡すという誓約書は反故にされたのだった。
作家・大下英治
〈文中敬称略/連載(3)につづく〉